『知らない音楽の曲名をAIに判断させる』疑似mp3検索は判別=結論だから容易にマシンラーニングで実装できた | ページ 2 | ゲヲログ2.0

『知らない音楽の曲名をAIに判断させる』疑似mp3検索は判別=結論だから容易にマシンラーニングで実装できた



例えば、”Googleのmp3検索”はそのハードル低くかなり容易。ずばり一文で済んでしまう。

GoogleスピーカやAndroid端末の音声検索で『OK,Google』『この曲は何』と呼びかける。

ぶっちゃけこれだけである(関連リンク:Google アシスタントヘルプ)。例えば、今、Steamで配信されている「Wallpaper Engine」で壁紙に特定のオーディオがBGMに設定されているとする。この手法で、『この曲は何』と言った後、(Android端末のものも含め)スピーカに曲のメロディーを吹き込むだけで(これは曲の流れている部分をそのままスピーカ部に応じさせるなり、メロディーラインを口ずさんで聞かせるだけで良い)、具体的な曲名を判断・表示してくれるんだ。高度な手法でも何でもない。こんな”ローテクな手法”で、事実上のmp3検索以上のことができる時代になったわけだね。

おそらく(というより間違いなく)この機能は古典的な判別分析の概念を駆使するだけで可能だ。例えば、同じ機械学習でも、自動車から見て二項分布で横断者の画像を検知し”いかにも危険な横断するか否かを判別する”ことは容易だろう。機械学習的な処理であれば、この程度はお茶の子サイサイ。問題は自動車の場合、そうした危険な横断を推測したうえで、その横断者が『周囲の環境を含めて、現実的な安全保障をどう講ずるか』という決定をする部分なんだ。

つまり、ブレーキをするか否かの判別は極めて容易である。問題なのは、いつどのようにブレーキをするかという時間容態的な決定の部分なわけだ。mp3検索の場合、この判断は容易で、”決定的に決定する”ことはそれほど求められない。つまり判別が即結論になっているからこのサービスはかなり容易に実装できた。自動運転の場合、判別が結論になっていないわけだ。物理的な制約があるからこそ自動運転責任の問題追及は難しいってことだね。

今回紹介したGoogleによる、この手法が多くの人、また、多くの派生的な音楽がらみの利潤に繋がるとはちょっと思えない。むしろ、mp3検索以上にトレンドなサブスクリプションや配信サービスというような手法であっても、音楽家の川本が言うように、音楽家自身にとってそれがすご~~く有益なものになっている、とは断言できないどころか、むしろいいがたい現実はやはりあると思うんだ(参考リンク:ITmedia)。

AIを巡る論争は果てがないどころか、このようにケースバイケースでかつ多様過ぎるほど多様なので、境界線をどう引くかが難しいのが問題なんだね、っていうだけのこと。そして覚えておいた方が良いことも、もひとつある。判別決定本質的に違い、その錯綜する部分にうまく線を引いたものが現れたら…それは間違いなく法的な英雄になるだろうなってことだ。