今しがたネトフリで「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」(第一作目)を見終わったので…
見よう見ようと思っていて、今日見るべき時が来たと直感で感じたので見てみました。「閃光のハサウェイ」については、小説版をガンダムおじじ(富野)の著作で読んでたので、この名作を随分と”分かった気”になっていました。じじいの小説はよく世間で知られている通り、ちょっと読みにくいところがあるので、把握しにくいこともあってか、自分の場合だとあくまで”読んだフリ”になっていたというのが事実です。速読で流しただけだった…っていう。やはり映像化作品を見てみて、そこから小説版に移った方が詳細までが把握しやすいですね。結論から言うと、特段ひねりはなく、「閃光ハサウェイ」のありのままが映像化されている作品でした。
劇場版を見て分かったのは、元ネタ知らない方が幸せになって本作を鑑賞できる、ということです。もともと劇場版ではハサウェイがエリンであることは冒頭からはまったくもってわからんです。途中から、ギギが介入してきて、人間関係からケネスがハサウェイのことをエリンと推測するわけですが、(ハサウェイもギギが原因で自分がエリンとバレることが自然とわかっているようです)この推測部の部分が、映像見る側=観衆と重なるわけですね。んで、ダイレクトにMS戦に遷移して、ごく自然と闘いに身を投じる主人公らに感情移入できる、ということが本作劇場版の最大の特徴なような気がします。そもそも、劇場版公開される前になぜ冒頭の数十分間だけ公開されたのか?ということは、このことに起因する気がするんですよ。繰り返すようにこの冒頭部を見るだけでは、ハサウェイ=エリンとはわからない。むしろエリンと呼ばれるテロリストがどういう具合に物語に関与していくのか?ということに興味関心を抱ける内容に留まっており、ハサウェイはエリンではないのではないか?とわざとブレブレに提示されているように思えます。ただし、劇場版を最後まで通してみればわかる通り、すでにエリンはハサウェイです。そこでギギがニュータイプ的な能力を発揮していって、次第にどの聴衆もエリン=ハサウェイ、また、ハサウェイ=エリンと分かってくる。だからこそ、ネタバレは無くしてまず映像版を見ることを、いまだハサウェイを見ていないかた・読んでなく元ネタを知っていない方には、そう薦めるべきです。
これは簡単なことで、今の現実の世は地域紛争の時代だということと上手いこと重なります。現世と関連してリアリティーがあるんよね。テロという名目でいろいろと理想を押し付けるエリン側はあくまで、子供な形なはずです。ですが、その子供だましのような【紛争ごっこ】と言えども、現世のテロリストの虚構的理念と重なることで、多少無理な形でも…ガンダム的なSFでもリアリティーが生じる。そうするとなると、テロや地域紛争という時勢の流行事(と表現していいのかはわかりませんが)とコネクトし、現在の世の問題と重ねてこのハサウェイの映像化作品を見ることができる。だからこそ、今劇場版を作った意義があるのだとも思います。いわば、ガンダムというオブラートに近い包み方をしながらも・SFというオブラートに包まれながらも、現実感がある。ここにこそ、ハサウェイの作り込みの凄さ・現代的意義があるように思います。もちろん、じじいの書いた小説は、かな~り昔のコトです。原作は超昔の小説であり、じじいが『「ハサウェイ」だけは映像化させない』と周囲に言っていたことは有名ですから、未来予知能力のようなじじいの凄みはこの時点でひしひしと感じる次第です。端的に言うと、富野監督はやはり”天才☆”なのでしょう。
そして強調しておきたいのが、このハサウェイがエリンと分かってくるミステリー的な様子と、テロのネットワーク構造とが、妙に重層的に映像作品を構成していることです。というのも、テロネットワークというものは、あくまで【蜘蛛なき蜘蛛の糸】と呼ばれることが多い。主体がないんですよね。つまり首謀者がいなくなっても次々とネットワークから新たな首謀者が出てくるわけで、自然と蜘蛛糸のように構成された組織性を持っている。だからこそ、エリン=ハサウェイということはわからないように、”わざと”映像上の設計がされている気がしました。この単純なミステリーは映像表現が進むにつれてその内幕がごくごく自然とわかるようになっているのですが、最近流行りのどんでん返しがあるとか、奇抜な演出があるというわけではない。ごく自然とネットワーク・その組織化の流れから、ハサウェイ=エリンとわかるようになっている。つべで先行公開された冒頭部だけを見た方にはわからんでしょうが、蜘蛛の正体はまさしくハサウェイなわけです。
あくまで、映像としてはガンダムの映像版というべき伝統的なガンダムの話に留まっていて、すごい展開があるとか、特異な独創性があるとかそういうものではない。いわば古典的なガンダムに沿った、いわば逆シャアの正統な続編として楽しめるっていうものです、この「閃光のハサウェイ」は。もちろん、あくまで若干ぶっ飛んだ、新しいガンダムを楽しみたいのであれば「水星の魔女」を見ればよいわけです。それはそれで問題ないのですが、このハサウェイ的な古典性にもじじいの凄さがよくよく見て取れる。自然と映像がガンダムの歴史・系譜を受け継いでいるので、その人間模様にも古典的なものを感じるし、ガンダムサーガとして正当性まで持っているという納得のいく出来に収まっています。
繰り返すように物語にどんでん返しがあるわけでも、今後凄い展開が待ち構えているわけではなく、ぶっちゃけ歴史の中でエゴが渦巻き人間が死んでいくだけの物語ではある。そういうリアルよりの映画であると評させていただきます。だからこそ成功しないわけがないです。そういういわば、ガンダム正史の物語です。そしてハサウェイの劇場版作品は三部作構成なのかな?ですので、今後にもごく自然と期待が持てます。
( ゚Д゚)<間違いなく傑作になるシリーズです。