少年時代からずっとSF・ミステリーファンだったという奈須氏。Wikipediaのこのおかたの記事は趣味嗜好・好きな小説の傾向とかばかりで、その来歴に関して、特に同人時代初期の頃の解説がほとんどない(Wikipedia)。だから勝手にインタビュー記事をまとめ、あたしなりの解説を試みる。原著はこれ☟。
子供の頃は漫画とか映画とかにふれる日常、兄弟にオタクが多かったらしい。出来立てのビデオデッキで邦画を見る機会が多くあったという。本業ともいえる小説は、学生時代武内に出会ってから書き始めた。当時武内は漫画化志望・奈須は小説家志望。ただ、武内の家はこういった趣味には厳しかったらしく、隠れて漫画を描いていたという。
10~20代のころは、D&D伝記物を作っては遊ぶ毎日(いわゆるゲームマスターが奈須、シナリオ担当)。Wikipediaにも書いてある通り、素晴らしい作家たちに出会っては影響を受けていた、という。大学卒業と同時に就職、小説もまだ書き続けていた。
「TYPE-MOON」のHPを立ち上げたのが、1997年の5月・6月あたり。武内の依頼で(武内はこのとき転職、大阪から東京に帰ってきていた)そこに掲載する小説を書く。このころ「空の境界」に繋がる作品「魔法使いの夜」も書く。ここらで自信作「痛覚残留」を書き、コミティアに挑戦するものの、結果5冊しか売れず。そこでゲーム化する・ビジュアルノベル化するという考え方を武内と共有する(今も昔もオリジナル小説はマイナージャンルすぎた)。しかし、コミケに乗り込んでも鳴かず飛ばず。コンビニのコピー機をほぼ数時間占有しコミケ用の稿を刷る毎日。このころ会社は辞めて自分の仕事一本でいく気持ちをつける。
そうして、武内と手を組んで、たどり着いたのが「空の境界」をベースにしたゲーム「月姫」。制作期間一年程度で2001年ごろから同ゲームが話題になり始めた。このヒットまでは厳しい生活が続き人生の成り行きを深刻に考えるように。2000年12月30日のコミケでようやっと800部買ってもらえるようになった。武内からの依頼もあり、武内や、自分の兄弟などからも支援を受けながら専業作家になる(会社を辞めてから別のゲーム会社に非常勤で務めた経験もあるらしい)。
精神的に追い詰められ、金の工面ができなくなっていた矢先、「月姫」がめっちゃくちゃ売れ始めた。1000部の発注に対して400部で答える日々。だが、400部答えると、さらに発注がかかる。というわけで、同人の世界で武内・奈須は成功し始めたのだった…
「ゲームの流儀」p398~p427より
…といった感じだったらしい。
なんつか努力家ですね。オタクを諦めない・夢を諦めない。売れ始めるまで諦めず続けたからこそ、今がある。おそらく武内氏も奈須氏も同じなんだろうけど、それでいて現状に満足はしておらず、驕り高ぶったところもない。自然とない。だからみんな尊敬するのだろうね。
財の展開としても現代の形に合った商品設定方法だと思います。注目したいのは”D&D”というテーブルの仕事があったところだろうか?これは小説・ゲームに今後発展していく形の必然的存在の商品であるわけで、彼らのルーツといえるように感じた。
大変、銭には困ったらしく、それでも諦めないで、売れるまで頑張り続けた努力型の成功事例やと思いますね。