【連載:クマでも読めるブックレビュー】「宣伝は差異が全て 邪神ちゃんドロップキックからマーケティングを学ぶ」栁瀬一樹 | ゲヲログ2.0

【連載:クマでも読めるブックレビュー】「宣伝は差異が全て 邪神ちゃんドロップキックからマーケティングを学ぶ」栁瀬一樹



画像:Amazonより引用

本書はマーケティングの理論の本ではないと筆者は書く。そういった本は巷にあふれている。本書はあくまでケースバイケースの経験論の本である、という。つまり、本書自体が差別化の本である。そして、本書が主張する論旨も差別化の本である。要するに、一義に存在自体が差別化をテーマにとっていて、その内容、つまり二義の中身の論自体も差別化をテーマにとっている。

象徴的に筆者が冒頭に述べるのは秋葉原の事例である。アキバでこのアニメ「邪神ちゃんドロップキック」の宣伝を打っても差別化に至らなかった点が明かされている。結論から言うと、初期の広告は差し引きで費用対効果が得られずに金だけをつぎ込んでしまい失敗に至った、という。なぜだろうか?それを筆者は差別化の失敗、と呼ぶ。

アキバにはそうした看板的な宣伝施策はいくらでもある。特段、アニメ・ゲームの聖地であるアキバでそのような広告を打っても意味がない。理由は単純でどの企業も同じ考え方でアキバには接してくるからだ。だからこそ、アニメコンテンツである「邪神ちゃんドロップキック」は差別化ができていなかった。この失敗に学び、差別化こそが宣伝のすべてだ、と結論を見出すわけだ。

内容面でもその中身は単純な脳みそを使った考え方を軽く書いているだけ。統計的な考え方はマクロ的にはあるものの、ミクロ的にはない。これこれこういう論と数字に基づいてコンテンツを多彩多芸に作れば成功するだろう→実際この通りに馬鹿な事をやってみました→成功しました・うまく行きました→こう改善案を出して差別化をしないと目立たない時代ですよ、このスパイラルの繰り返し。本書の内容はマジでこれだけなのだ。だからこそ、この本は経験値の本だ、といえる。

もちろんこれは興味深い話でもある。本来、経済経営の話はニュートン的な古典物理モデルのような線形的な解釈を目指すのは間違っている、と経済学者の池田はかつてコースを例にとり、ブログで述べている。経済学と経営学の性質の違いはあれども、また、本書は経営学の部類の本ではあるものの、本質的な意味合いでは、本書の執筆姿勢もこの池田の言にかなり近しい。

経験科学で、こんな数学みたいな書き方をしている学問は他にない。工学や生物学の論文で、定理とか証明というのは見たことがない。コースも警告するように、経済学はアダム・スミスの時代から政策科学だったのであり、古典力学をモデルにするのは筋違いなのだ。

池田信夫 blog : ロナルド・コース、1910-2013より引用

このように経験値で書かれた本がこの本の中身のすべてである。あくまで、理論は『こうしたらいいんじゃね?』というイデアルな発想ベースの先に書かれているだけであって、深い意味付けすらしてない。特筆すべきなのは「ランチェスターの法則」を一般的なマーケの分野に再解釈したところぐらいだ。誤解のないよう言っておくが、これは、本書が劣っている点ではなく、本書のテーマベースの点で優れている点である。そういう本なのだ。

だが、耳の痛い話でもあるが…この本の通りに読者が宣伝事業に挑んでも恐らくば失敗するだろうことも付記しておく。この本の中身ははいかんせん、繰り返すよう、経験論の本であり、一般化された理論の本ではない。だからこそ、個性のある施策で成功した事例、といえるわけだ。「邪神ちゃんドロップキック」の事例で成功したパターンを紹介しているだけでそれ以上はあまり関係がない論が並んでいるんだ。

これは池田の言に伏して言っているのだが、またゲヲログもそれをもとにして何度も記事にしていることだが…実は、こうした経営の本質は経営の理念ではない。経営理念よりも経営者の才能や才覚のほうがずっとずっと重要なのだ。それは経営とは個性の発揮の場、であり、その結果について回る数字がすべての内容性を持ちうるからだ。個性に基づいた経験論の経営ケースを踏襲しても経営者のタイプや経営的個性を持ち合わせてないので、その真似事の発想自体がおかしい。経営者の才能はだからこそ重要なのだ。

誰がが経営的成功事例のそっくりそのままコピーをしても、再成功するわけがない。すでに固まったバリュー・価値観は時間軸としても先行していて、新たなる市場の草分けにはならない。イノベーションとは先発の科学なのだ。この論理を本書は踏襲していて、そういう意味では本質論の本では絶対にない。繰り返すが、本書は経験的・経験値の本なんである。だからこそ、この本をベースにして考える機会を本書自体が読者に与えている、という構造的存在の批評が唯一客観的な批評である、と本書についてはそういえるのではないかな。