記事の要約:「ファイナルファイト」以降のベルトスクロールACTゲームは当の「ファイナルファイト」IPを超えられていない。これには確固たる理由がある。①パターン認識AIの神レベルの実装②システム的合理性を踏まえたグラフィカルな訴求力③大局的レベルデザインへの配慮…この三つの要素を「ファイナルファイト」はそのIP元祖形の登場の時点でまったく譲らずハイレベルに統合してしまった。これこそが「ファイナルファイト」を神ゲーにしている理由であり、その他のベルトスクロールACTがビミョーな理由である。
問題の提起
これね、けっこう難しい問題だと思うのよ。これまで逆張りでゲームレビューしてきた天邪鬼メディア・ゲヲログにとってもとても難しい問題だと思う。でもあえて積極的に議論すべきトピだと思うので、”逆張り”らしく具体的なタイトルを挙げて、「ファイナルファイト」以降のベルトスクロールACTがなぜクソゲー(厳しく言うと)ばっかりなのか?ってことを誇張して書いてみたいと思うよ。
※てか、3DSで遊べるレベルなのかよwwwって上の動画見て思うだろ?マジなんだよ!
パターン処理的AIのスゴミ
「ファイナルファイト」はマジで凄かった。まず第一に敵AI…つってもパターン認識のAIだけど、これが凄かった。まるで生きているかのように敵のキャラクターは行動し、こちらの攻撃の隙を突いてくる、そんな読み合いができるゲームだった。確かな理由はあると思う。それが、この戦闘フィールドが限定次元でされているってところだろうな。これがバリバリの3Dフィールドだったら、ここまで簡素なパターン認識でそういう古典的なAIの生きているかのような敵対行動は実現できなかったはずなんだよな。つまり、表現すべき生命的AIにはそのAIの設計性ゆえの適切な範囲取りをした行動フィールドが理想上あるのは当然のことなんだ。ここを「ファイナルファイト」は適切に押さえていた。これがまず「ファイナルファイト」が世界一のベルトスクロールACTである理由だと思う。
グラフィカルな訴求力とシステム迎合性
第二にグラフィックスが極めてバランスよく仕込まれていたこと。これも外せない。例えば、AIの設計の具合によっては敵の当たり判定とかをうまく調整する必要が当然ある。脳の部分とハードウェアである体の部分の関係性は、当然我々人間の生活している3D以上の次元でも、ゲーム内の限定次元でも重要なのは当然のことだ。「ファイナルファイト」というゲームは、この双方…脳みそ的な考えと体の感覚に気を配っていた。適切な当たり判定を、適切なグラフィカルな要素要素に沿って仕込む必要があったことは、そうそう想像に難くない。「ファイナルファイト」はマジで絶妙なバランス設計でここらを把握していた。神レベルの把握能力でな。
大局的なレベルデザイン
第三にレベルデザインが挙げられる。これが決定的な最後の理由だと思う。調整しつくされたパターン的AI、および、グラフィカルなシステム調整要素と同じように重要なのが、大局的なレベルデザインだ。例えば、適切な敵の数・フィールドにおける障害物の存在・武器や武装の設定と配置…これらがベルトスクロールACTにおけるレベルデザインの大半だと思うんだ。ただ「ファイナルファイト」はここもバランスよく設計し、ゲーマーに配慮し続けた。ぶっ飛んだレベルデザインがなくて、ストリートファイトを演出するレベルデザインの要素に秀でていて、素晴らしい性能を誇っているゲーム、それが「ファイナルファイト」だったんだよな。
「ファイナルファイト」とはベルトスクロールACTの神ゲーである
さて、これらの三要素がこれからの未来のベルトスクロールACTにあるだろうか?確かにグラフィカルに魅力のあるゲームは多い。例えば、Steamで見られるのは「Mayhem Brawler」や「Teenage Mutant Ninja Turtles」(「PAPRIUM」もそう遠くない未来にSteam発売されるだろうな)、さらには「Streets of Rage(ベアナックル)」「Fight’N Rage」まである。素直に続編に期待できるIPだと思うし、このうちどれもが素晴らしいベルトスクロールACTだ。はっきり言って、これぐらいが”素晴らしい”レベルのベルトスクロールACTだと思う。だが、ぶっちゃけて言うと、どれもが「ファイルファイト」には遠く及ばない。ずっばりと言っちまうと…
「ファイナルファイト」=神
そのほかのベルトスクロールACT=「ファイナルファイト」それ以下
だと思うんだ。例えば、「Mayhem Brawler」の立ち位置は「Streets of Rage(ベアナックル)」にとても似ている。リブート的な立ち位置のゲームだからそうなんだろうけど、グラフィカルな訴求力で秀でているのは認める。でも、パターン的なAIの要素(事例に上げた第一要素)や大局的なレベルデザインの面(事例に上げた第三要素)でかの傑作「ファイナルファイト」より劣っているんだと思う。たぶん…だけど「PAPRIUM」も同じだろうな。あと「Teenage Mutant Ninja Turtles」は思ったよりも強烈なキャラゲーになっちゃっているほか、チーム要素のあるゲームであるゆえにCo-opに配慮してしまいすぎた。だから、レベルデザインの面にちょっとした齟齬を感じてしまうのが正直なところ。
進歩した高度な技術はゲーム設計においていつでも必須だとは言えない
微妙な部分なんだけど、ベルトスクロールACTって、ここで挙げた、第一要素:敵AIの設計・第二要素:グラフィカルな訴求力に留まらないシステム的存在・最後に第三要素:大局的レベルデザインの三つが全部揃わないと神ゲーにはならないんだろうね。この面で「ファイナルファイト」以降のゲームはどれも「ファイナルファイト」を超えられなかったんだろうな。「ファイナルファイト」AC版の発売が1989年だから、もうこの傑作が世に出てから35年ぐらいは経つわけだ。その間AIの技術革新は確かなものがあったし、ゲーム開発を巡る数学や物理も基礎以上の実装過程においては格段な進歩があったことは間違いない。現にそれを象徴するように、NVIDIAの株価が何倍になっている?もう数百倍ぐらいになってるんだろうなー、って株は素人ながら感想を覚えるところだ。
限定次元という世界
だが、あくまでベルトスクロールACTの活動フィールドは、限定次元に留まる。バリバリの3Dフィールドじゃないんだよね。また、時代が進歩しても敵AIの適切な設計のレンジはここ35年間で”そうそう変わらなかった”ってのもある。基礎技術は進歩してもベルトスクロールACTという具現的なゲームの応用局面においては飛躍的に性能がアップアップしていったっていうわけでもなかった(もちろんそういう技術が必要とされるゲームもあったけどそれは「ファイナルファイト」のようなベルトスクロールACTのゲームには関係がなかった…もしくは希薄だったと言えるだろう)。これが「ファイナルファイト」が神ゲーである背後関係なんだろうね。
存在>本質のゲーム設計
つまり、基礎技術が高度化し応用技術に波及してそれが実装可能になっても、ゲームの種別によってはそれ以前の技術のスピンオフで済ませることもできるっていうことをこの事例は象徴しているんだろうと思うわけよ。だって、当時のAC基盤とかカードリッジ式のゲームで「ファイナルファイト」はあそこまでの出来だぞ?容量制限があるからこそ、限定次元なわけよ。これは卵が先か・鶏が先かってのとは関係がない。適切な関係性が現にある(存在>本質)ということが重要なのだ。「ファイナルファイト」は間違いなく今やっても面白いゲームだって。それはゲーム的な配慮のレベルに欠けている点が微塵もなく、ありのままの形である原型で、もはや十二分にゲーマの要求に答えちゃっているからなんだろうね。
結論
第一要素から第三要素まで幅広く、だがシンプルに、バランスよく答えを出してしまった。これが「ファイナルファイト」というゲームが神ゲーであったが所以であり、これ以上のベルトスクロールを過去・現代・そして未来のゲーマが求めたとしても、その要求に応えきれなかったっていうことなんだと思う。ボリュームのあり方と設計の仕込み方にもはや適切なディティールを出してしまったんだよな。”初代”がこれを出してしまった以上、恐らく二代目や三代目がこれを超えることは不可能。だからこそ、「ファイナルファイト」以降のゲームは「ファイナルファイト」を、いまいち超えきれないんだと思う。
<了>