時代遅れの社会学 | ゲヲログ2.0

時代遅れの社会学



ウィナーの「サイバネティックス」を巡る曲解

ウィナーの「サイバネティックス」(ちなみに岩波版)を読んでいて感じてたことなんすけど、これ解説のかた、ウィナーの理論、理解できてますかね?ある事象AとBがあるとして、『AとBが似ている』という論理は簡単に使えるんですよ。学徒や学者は『AとBが似ている』だけでなく、『なぜAとBが似ているのか?』という問いにも答えなけりゃならぬのは当然のことじゃないですか。

理論物理学者ファインマンの忠言

昔、ファインマンが言ってたんですけどね、『学問の目的は哲学でも物理学でも同じじゃないですか』っていう哲学者に、『そんな当たり前のこと言ってどうする』ってw。これって至極当たり前なんですよ。ファインマンの答えはこうでした『似ているものを見つけることぐらい誰にでもできるZO☆』って。学者はその先を見据えて『なぜその似ているもの(たち)に類似性を見つける意味があるのか?』っていうところまで当然押さえなけりゃならない。

経済学者池田信夫の忠言

この本の解説かいてる社会学者はこの辺りの常識的に考えればよくわかる論理がまったくわかってないよね。そもそも、影響係数の初歩理論とか工学系の知識を持っている人じゃないとこの難書の解説担当はこなせないっすよ。現に経済学者の池田信夫はこのようにブログで社会学のことを馬鹿にして言います。これに全面的に賛成するわけではないんですけど…あたしは大まかに言ってあってると思います。

社会学には標準的な理論体系がなく、つねに「あんなもの学問じゃない」とバカにされてきた。そこで一時は(初期の宮台氏や大澤真幸氏のように)経済学をまねた「科学的」な理論をつくろうとしたが破綻し、物語に逃げ場を求めたのだ。そこでは初めにストーリーがあり、事実はそれに合わせて取捨選択される。

池田信夫 blog : 社会学者はなぜ反原発派になるのかより引用

学術研究には色がつかなければならない

今、社会学分野でトレンドなのは明らかに印象評論系じゃないんだよね。計量的にとか、科学的にとか、色のついた社会学なんですよ。つまり新しいメメントを盛り込んだ社会学ってのが主流になっているのに、日本では印象系の社会学が未だに大家を中心として成り立っている。現代は、防衛研の高橋先生のような安全保障分野だってさえ、詳細かつ客観的な軍事学の知識が求められている時代なんですよ。それが高橋先生の場合、ご自身の研究の色に繋がっている。こうした傾向はデータサイエンスなどの分野でも差は有れども同じことが言える。

時代遅れの社会学

確かにかつては評論系の社会学が同分野のメインストリームだったけど、証明性というものがうまく担保できない時代に入っている。そして〈社会学の科学化〉が進んで、計量的な社会学ってのが欧米では主流になっている。それなのに時代遅れの単行本ばかり出して、一向に論文にしたがらない社会学者が多い。池田もいうようにプロ倫でさえ既に批判されつくしてるのがその象徴です。あたしの同期(社会学専攻)も根拠なき社会学は否定すると言ってましたが、『社会学の父』とされるウェーバーの書でさえ、根拠となる客観性はないんです。


いやぁ、これが東大とか京大の(社会学の)レベルなのか…愕然としますね。