GameWithのチームユニについて考えさせられたこと【ブランドとは”資本主義の飼い猫”である】 | ゲヲログ2.0

GameWithのチームユニについて考えさせられたこと【ブランドとは”資本主義の飼い猫”である】



GameWithのe-Sports事業のチームユニについて

前から言っているが、たしかにGameWithがリスクテイクせずして多角化経営を推し進めることは素晴らしいアイデアだと思う。ただ、今回の細やかな売り方に関してはあたしなりにはあえて苦言を呈しておきたい。それがチームユニの限定販売のことだ。

8/12付け4Gamer.netのニュースで、GameWithがオーナーになっている自製e-Sportsチーム「TEAM GAMEWITH」のユニ限定数量販売開始が報じられている(関連リンク:4Gamer.net)。はっきりさせておくが、このブランドの動向にはちょっとあたしは気が向かない。というのも、ブランドもの・特にファッショナルなブランド展開については、より慎重に抜き足差し足でやらないとかえって失敗することがままあるからだ。限定数量で販売するというのはそういう意味ではリスクを低減させるいい案だが、このアイデアでは大成功のゲインは稼ぎ出せないだろう、というのがあたしなりの意見だ。

ブランドと物語消費

ブランドもののことは、かつて天才OMOCATについて言ったことが当てはまる。ブランドを展開する、ということは当然、ビックリマンチョコと同じように、大塚英志が著書の中で言ったようにいわゆる「物語消費」の概念が求められる。人々はブランドを消費投資するということで、その中に流れる物語の血を消費している、というわけだ。OMOCATもそこに気づいている。だから、OMOCATはゲーム(特に「OMORI」が有名なわけだが…)や特定のバイアス的な想像力に沿って、ブランド展開をする一流のファッションデザイナーなわけだ。おそらくこうしたファッショナルな商品というものは、二極化が激しい分野だろうから、一流と二流三流の分水嶺はあまりにもでかいはずだ。例えば、OMOCATのファッションブランドとGameWithのファッションブランドを比べてもその内在するポテンシャルはかなりの差がある(当然OMOCATの”勝ち”だ)。つまりブランドを作るということは、物語を作るということと、経営実績の観点から見ても、経営の思想の観点から見ても、まったく同じなんである。

GameWithがゲームファッションブランドで成功するために必要な、簡単に超えられるハードル

それゆえ、このファッションよりの分野でGameWithが利益・ゲインを上げたいのであれば、そのブランドの背後に動いているe-Sportsの側面から、物語を内在させることが求められる。たしかにGameWithの「TEAM GAMEWITH」が一流プレイヤーを抱えているとは言えども、その物語に発展しうる配信力はないに等しい。ザクレイがスマブラで一番有名なところを抑えているだけで、フォートナイト自体はかつてゲヲログでもランク振り返ってみたところ、世界のTOP10に入るタイトルではあるが、その背景の物語になるような伝説的なタイトルではないとあたしは思う。

『じゃあどうりゃいいんだよ!』って思ったかもしれないが、この話をこじ着けるのはひっじょうに簡単なことである~ブランド制作を一流(とはいっても受け入れしてくれる見込みがあってあまり契約の際の金額が高くはないという条件で)デザイナーに依頼したり、人気ストリーマ(ぶっちゃけ、女性ならば人気のある美人のストリーマの方が良い)に依頼することだ。

こうすることで、一流のデザイナーは自力を賭けて物語を作ってくれるし、人気ストリーマは魅力的な配信者である自身に潜むポピュラーな部分をブランド一面に押し出せる(いわば美人バイアスみたいなもの~ルッキズムには反するけどね☆)。例えば、GameWithが社としてこの分野の先達でかなり有能なデザイナーである寺田てら氏にブランド制作を依頼すればよい。あるいは、スマブラストリーマで元GameWith所属のきさ氏にブランド制作の助力を求め依頼すればよいのだ。この具体案2つはいとも簡単にGameWithのファッショナブルなブランドを構築する方法になるだろう。

ファッションブランドとは”資本主義の飼い猫”である

このように物事は簡単な話だ。人気のある人に社のブランドを任せて、それに自社は従順についていったほうが、このケースの場合ずっとラクチンにビジネスが済む話なんである。GameWithは東証に上場している企業だから、この程度の投資資金は楽勝で調達できるだろう。もし、今後GameWithがブランドの分野でゲインを大きく取りたい意欲があるなら…ガチでこのふたつのやり方は検討してみてほしい、勝手にそう思う。

なぜアメリカがファッションブランドの分野で優れた先進国なのか?というと、人気モデルとか人気俳優(特に女優)がその経営を主導するからだ。金持ちが持つ理想的で評価の高い(あるいはこれから高まるであろう)ブランドだからこぞってみんなそこに自身の理想像を投影し、カネを落としていく。はっきりさせておくが、ブランドは価値を巡る闘争という意味では、資本主義の原型そのものなんである。

一言でいえば、ブランドとは”資本主義の飼い猫”なのだ。