小泉環境大臣の”46発言”はスピリチュアルか? | ゲヲログ2.0

小泉環境大臣の”46発言”はスピリチュアルか?

これは小泉環境大臣が悪いわけでは『ない』。たしかに言い方が回りくどく、最近はアクションを起こせない・決断できない政治家だという評価が広まっているのは理解ができる点だ。だが、『局側の都合でいいように切り貼りすることができるのが”テレビ”というマスメディアの実情だ』ということも加味しなければ正確な判断はできない。こういった言語の特徴をわきまえずに、一方的に「小泉進次郎がスピリチュアルにかぶれている」と評するのは難がある。まず、第一に言語・メディア的な意味で、第二に論理・根拠の意味でである。

第一の理由は言語・メディア的な意味。これは小泉が言わんとしていることをしっかりと熟考したら自然とわかる。例えば、動画内で小泉は端的にそのスピリチュアルと評されている部分でだいたい…だが確かにこのように言っている。「くっきりではないが、おぼろげながら浮かんできたー46という数字・シルエットが」と。この言動がテレビ局のインタビューに即して行われたというのは、動かぬ巨山のごとくの事実だろうという点ではだれもが一致するだろう。だが、この文言が「科学的な意味で(100%の科学者の合意という意味では)まだ確証は持てたものではないが、46という目標数字が一定程度、科学論理の上根拠があるのでそれを前提にしたい」という意味だったらどうだろうか?(参考リンク:地球温暖化に対する懐疑論 – Wikipedia リンクは#IPCCに対する批判の項へ)

これは、言語学におけるピンカーの提起に似ている問題だと思う。ピンカーや(広くはラマチャンドランのような学者)の言語論においても、言語をどのように分析するかというテーマで書かれている本が実際あるように、そこでは言語の機能的な意味で、様々な認知論理があることが示されている。

たしかに”46発言”はスピリチュアルだ、ととらえられないこともない。だが「科学的にまだ確証が持てたわけではないが、ある程度はっきりしてきた科学概念の力の結実による論拠がある」という意味でしっかり彼が述べていれば、それはより多くの誤解を招かなかったかもしれない。そして、現に、池田信夫は小泉の言った46という数字には論拠がある、と言っている。彼はブログで「46という数字には根拠がある」と言う。これが第二の論理・根拠の意味である。池田は続ける。

次の図のようにIPCCの1.5℃特別報告書では、2050年にCO2排出をゼロにするには、2030年までに排出量を2010年水準から45%削減する必要があると書いている。IPCCによると地球の平均気温を産業革命前から1.5℃上昇におさえるためには2050年に温室効果ガス排出ネットゼロが必要なので、その中間目標として2030年には45%削減が必要である。だから46%には(できるかできないかは別にして)政治的根拠があるのだが、問題はその1.5℃に根拠があるのかということだ。

池田信夫 blog : 地球の平均気温が1.5℃上がると何が起こるのかより引用

このように科学的根拠はあるわけだ。池田は続いて1.5度の気温上昇に抑える…という本質なところまで突っ込んでいるが、今回のこの『発言問題』はそこにまでは及んでいない。「小泉環境大臣が根拠のない論理にもならん感想で46という数字を持ち出した!」という、その”感想”に限って言えば、局側の意図との噛み合いがなかったことも考えられるし(第一の理由)、彼が官僚のレクチャーを受けながらも科学的な観点を失念、誤解を招きかねない言い方をしてしまったことまで考えられる(第二の理由)。

よーするに、この発言の本質的な問題は「政治家がいかに科学的な論者であるべきか」ということだけだ。そういう意味では、切り取られたインタビューの中でのハナシを通して、一方的に環境大臣のことを批判できるものではないし、一国民として言論の立場のあり方をもっと熟考したら結果は違ったかもしれない…小小泉のことを擁護するわけではないが、あたしはそのように考える。