radikoによるインターフェース革命 | ゲヲログ2.0

radikoによるインターフェース革命

久々にradikoにつないでラジオを聞いていたらとてもショックな光景を目にした。なんと聞いている番組内で、オンエアーされる楽曲の情報が様々な民間企業の運営する配信サイトへのリンクとともに、画面内に記されているではないか。辿っていけば、誰もが簡単にアマゾンなりSpotifyなり配信系のサイトで、購入したり、そのまま正当なライセンスの上フリーで聞けたりできるわけだ。あなたも、ラジオ番組で小耳にはさんだ楽曲を再び聞きたいので、その楽曲の曲名を知りたいと思ったことはないだろうか?これはNHKの歌番組などでも同じ心理的なメカニズムだと思う。実際ネットに接続するだけでこれが”叶う”わけだ。

さて、このradikoのインタフェースが導入された時期がいつだったかということまでは調べてはいないんで、追っては伝えられない。だが、付加価値としてのラジオのデジタル化、その代替として、ネットのサイマル配信はいち早くこの問題を解決してしまうことは確かだ。これでは、専用のデジタルラジオ端末を購入するなどバカバカしいにもほどがあるっていうものだ。それはまるで、Gショックの模造コピー品(たぶんなんとかショックw)をアップルウォッチと一緒に腕に着けて持ち運ぶようなものだ(つまりそのような面倒なことはだれもがしない…というよりその必要性がまったく”ない”ということにほかならない)。スマートウォッチがあれば、わざわざ同じ目的で、劣った機能の類似製品を持つ意味は基本的にない。

一時、ラジオのデジタル化はかなり込み入った状況になっていた。東京近辺で『デジタルラジオ』という言葉が一時、出ては離れて、”耳に聞かなくなったこと”を知っているラジオフリークはそう多くないと思う。専用の試験用端末も企業が制作販売したことがあって、これからはデジタル化と並走してラジオ技術も進むだろう!という気概が端的には存在した時期がある。だが、人々が夢から覚めるのは実際早いものだ。インターネットアプリケーションベースでサイマル配信できるサービスは、そのサービス内容にIT技術を持ち込むがゆえ、柔軟かつ可塑的な機能を搭載しやすい。そう、それは、テレビ端末に四つの色彩ボタンがあるような後進的な発想ではなかった。それを実現したのが他ならないradikoだったのだろう。ユーザのニーズに配信網を割り当て、ネットワーク経由でアプリケーションを通じ、配信する。ITサービスはどれもがその非限定性のある革新的な急な流れに乗って拡大してきた。

また、『デジタルラジオの憂鬱』は非常時でも同じ不利便性を巻き起こす。配信アルゴリズムが複雑で通常のラジオとは違うため、災害時の情報伝達手段として使いにくいという問題点を抱えているわけだ。ラジオの有益な点は簡素な配信メカニズムで、より多くの地域に、個々の周波数を通じてサービスを提供できる点だ。この点でラジオはテレビよりも優れているという見方さえできるだろう。さらに、人々がアプリケーションを持ち歩き、その前提として個別の端末を持った今、インターネットラジオはデジタルラジオの盲点までをも見事に、ごく自然についたわけだ。そもそも、”サイマル”とはそういう意味だった。至極当然に、サイマル配信の手法はデジタル化の手法に打ち勝ったわけだ。

アンドリーセンも言うようにITサービスはラジオ分野にも侵食し始め、市場を喰いつくし始めた。サービスそのものが自然に多様化し、派生、多角化したのだ。

デジタルラジオは確かに局所的な地球の、特定の地域ではアナログサイドから強制移行させられ、その威力をノウハウとともに蓄積し始めていた。だが、多くのほかの地域では、ごく自然な発想としてインターネットラジオの配信網に乗っかる方が、”簡単”なのは当たり前だった。この構図を、現状、デジタルラジオ側から破壊的イノベーションにより打破し、なんらかの価値を創造しようとすることは無理に近い状況になっていると思う。