確かにかなり面白いほうやと思う。車いすの少女ジョゼが、外交的な大学生恒夫と出会って、恋に落ちる。その起承転結を描く小説です。ただ、はっきり言ってこの角川つばさ文庫版だと内容が薄い。それはもちろんアニメ映画を地の文章に置き換えたってことの要因もあるかとは思う。これはこれでいいのですが…しかしもうちょっとお涙頂戴にできなかったものか…
あたしがこういう本に出合ってアニメ映画も見るってのはぶっちゃけ感動して泣くためにあるんですよ。だから「泣き猫」のことは絶賛し通しだったわけです。あれはほんとにクオリティが高く、極めて、うまくコンパクトにまとまりつつも、ヨルシカのバックミュージックの完成度の高さも相まって、パンチ力のあったアニメ映画だった。あれだけの長さであれだけの演出がうまく極まっているのは本当にすごかった。ファメが絶賛する通り、あたしも絶賛します。ネトフリにおさえられたのもよくわかるほど、マジで素晴らしかった。そして内容的にはあまりでっかくないスケールの小さめな作品だということは、泣き猫もジョゼも同じ、それはそれで承知している。でもそれを小説版にすると、相当うまく描かないと深い内容にはならないことが多い。だから”泣き猫小説版”も”ジョゼ小説版”も同じように感動して泣けるというタイトルにはなっていない。あくまで小説で内容を補完するということです。本編とは違うんよ。
無論、そこでどういう描画があるのか?というのはアニメ映画本編でしか描けないものがあるんだと思う。ただ、文章からジョゼの気持ちの推移ってのだけはよく見て取れた。これだけは小説版で素晴かった点や。もちろんそれらは、小説版を担当した百瀬さんが有能ではないという意味では”ありません”。むしろコンパクトにまとまっていて、最後に絵画を描いているシーン、それが表紙やイメージセットと合わさって、泣けるほどではないものの…感動的な再会の様相を呈しているのも純粋に評価ができる。
ジョゼが笑いながら恒夫に連れられて車いすをこぐシーン、このシーンにこそこのアニメ小説版のすべてがつまっている。ジョゼの女性としての人間宣言ですね。彼女が、大げさに、しかしながら本当に本心から口を大きく開け笑うシーンに、恒夫の手が彼女の車いすを半分手で押す…これは本当に感心するイメージです。原作へのリスペクトあったからこそ、ありえた小説だと思う。彼女の新しい人生は、恒夫とともにある。
『外に出られないジョゼ、恒夫に出会って、冒険が始まった』
『あたい、幸せや』
それだけでこの物語は既に成立している。だからこそ…アニメ映画版にも期待がかかるというものです。ちょい酷評したのこれは、あたしが、先に小説化版を読んでしまったからこそかもしれないけど、その分、映像美にこだわったであろう、アニメ映画化版も地上波なりなんなりで放映される日が待ち遠しいっす!そんときは泣くのかも…(´;ω;`)☜トレイラーだけ見て泣いてる