私がゲームをすることに『慣れ』『飽き』それを再び別の形で『楽しむ』ことになった経緯 | ゲヲログ2.0

私がゲームをすることに『慣れ』『飽き』それを再び別の形で『楽しむ』ことになった経緯

ゲームってつまらんのですよ。ある程度やっていったら慣れちゃうわけで、最初味わった新鮮さってなくなるんですよ。刺激性に慣れちゃうので。当然、経験がものを言うわけで、ある程度上手くなっても『慣れ』→『飽き』というプロセスがごく自然と来る。でもゲームってやめられないんですよ。Steamerならわかるだろうけど、だいたいはまるタイトルって20個買って2・3個あればいいほうでしょ?言いたかったのは、あの感覚ですよ。

よーするに、ゲームで遊ぶだけじゃないんだよね。その発見の希少性を見出したり、あるいは、ゲーム制作に乗り出したり、ゲーム音楽のグルーヴ感に浸ったり、あるいはゲヲログみたいにメディアに乗り出したり…ゲームで遊ぶっていうのは別種の楽しみ方を見つけていくプロセスの問題でもあるんすよ。飽きて、つまんなくなって、別種の楽しみ方を見つける。ゲーム配信なんかも実際そうだよね。ゲーム自体を遊んでるわけじゃなくて、ゲームで遊ぶことをコンテンツにして『金儲けする』という別種のルートを開拓してるんすよ。ひょっとしてe-Sportsもそうかも。もっと強い刺激がほしくなってだからプロの格ゲー大会なんかは終わりがない。梅原さんが言うように、”上達することに飽きた”というのはなんとなくこの範疇に入ってる。

おにたまさんとか4gamerの連載記事持ってるかたとか…あるいはゲーム邦語化に力を最大限割いたりするいわゆるゲーム界隈における”神”と呼ばれる日本語化の天才のことですが、こういう方々ってこんな”プロセスの法則”に気が付いてるよね。だからゲームで遊び、慣れ、飽き、再び別の形で楽しむっていう法則は見ているだけで面白い。ボドゲで「ウイングスパン」ががっつりきてるのもああいう複雑なルート・ベストな最適化が来てるからそれなりのブームは来る。ルールベースの設計性ですよね、TRPG系のあの場合は。

そういうわけで、ゲームで遊ぶことに『慣れ』『飽き』『別の形で楽しむ』ことはごく自然なことで、Steamでいうゲームってのは進化が止まったっていうことでもある。ゲームが停滞し、競争世界でイノベーションが止まり、市場は社会主義的な創造性しか持ち得なくなる…これが消費者心理から見た結果なんよね…