『データーベース消費』の背後に”アナルコサンディカリスム”ありけり。【2】

『データーベース消費』の背後に”アナルコサンディカリスム”ありけり。【2】

構成は”難しい”と思います。共同作業の場合だとおそらく東浩紀が提唱した「データベース消費」の創作版である「データベース創作」とでもいうべきものです。要素ごとに分割された権利がこの絵には絡んでます…。ニュアンスとしては昔、妖精現実フェアリアルのところが提唱してた”ファンサブは死にゆくか?”に近いです。ですがそれを超えます。

例えば、線画担当者+彩色担当者だったり、厳密に言えば、線画担当者+調整担当者+彩色担当者だったりすると思います。これが一番ラクな覚え方。この論理は漫画制作での、漫画原作者+漫画作画者の分業体制に近いです。つかあれとほんまおんなじです。権利関係が複雑に絡むので、これはすでに東が提唱しているデーターベース系消費&創作とか、もうその領域超えてます。それを定義することはむしろ現代では意味をなしません。要素を集めるのではなく、要素の集合を超越するのです。

というのも消費だとか創作の定義をするのが難しいので、いくら議論してもたぶん結論は”出ません”。フェアリアルが提唱している”アニメの字幕部分のみをフリーライセンスにする”っていうのはこの時点ですでにナンセンスになりました。よーするに無政府主義likeな生産創造主義によってなされた創作物だから、それを定義すること自体、はなはだ無理っつことです(そしてそう定義しようとすることも”意味がない評論”になっているということです)。

著作のネットワークも「本質なき網」になる。「蜘蛛なき蜘蛛の糸」というものになるので、本質がそこにはありません。東がいうような創作とか消費の形態じゃなくて、これはむしろネットワーク構造に似ているし、政治主義なき創造のあり方に近いので、もうすでにデータベース消費という概念は時代遅れになっているのは自明です。同人誌ではすでにこれは為されてます。有志を募って漫画なりなんなり描くわけですからそこに定義はなく、分業の形態が実存し、あるだけです。

⇑リンクに書いたように、ファンサブは死んでネットフリックスなどの商用ベースの権利に則った創作によって代替されました。ありとあらゆる創作活動も消費活動もその一面に過ぎません。我々はネットワークの中に生きている。ネットワークの本質はそこにありません。ただ単にそこに実存主義的な”蜘蛛なき蜘蛛の糸がある”に過ぎないのです。