
序盤(第一章)は良いと思う。というのもデータを通じて客観性を担保しようとしている点は非常に興味深く読める。客観性を確保しようとして、様々なデータを当たっているその努力の姿勢を称賛したい。データを参照することで、Netflixがなぜ強くなったのか?その経緯を簡単にはしょって理解できる。なにより、ネトフリの”現在地”を知るうえで、欧州各国の映像産業との比較やTikTokとの比較考察などができているため、第一章はかなり良い出来である。例えば、映像産業のシェアに当たってみたり、本来は異業種のテレビという産業部門との比較は斬新である。良い部分はこの点に尽きると思う。詳しくは後述するが、その分、序盤でネタが切れてしまっているように感じた。例えば、ディスプレイをキーにして、映像のソフト面という大局的な割り切り方をもっとできなかったものか?という提案はあっていいと思う。次にダメだった部分を述べる。
第一章が良かっただけに、後の章がいただけない。特に、第二章。ほぼ全編にわたって、特定の作品について述べていて、その具体性があるのはいいものの、論が一般化されていない。新書だから仕方ないとはいえ、ネトフリ賛美の型を見せられたようで、肩透かしを食らう。本書の題は「NETFLIX 戦略と流儀」だから、ネトフリの戦略面の部分をしっかりと分量確保してほしかったと思う。これでは、「NETFLIX その辿ってきた道と現在地」になってしまっているっていう批判はあっていいだろう。これ以後は第三章・第五章と特定の作品の作風紹介になってしまっていて、個別の作品を当たるには個別の作品を見なければ分からん、としか断定しようがない状況になっていると思う。第四章では、若干理論面での解説があって、特にアニメ産業のキーマンなどの情報が出ていて、第三章で個別の作品について論じたその反動でもってして書終盤に至る…という道筋もあったはずだが、いかんせん第五章では、やはり揺り戻しが出来てしまっていて、結局ネトフリのファンにとって参考になる書になっていると思う。
この書は序盤・第一章が素晴らしく出来が良かったため、もうちょっと新書の構成の仕方を練り直した方よかったんではないか、と思う。あと、コロナと重ね合わせて考えるのであれば、もうちょい一捻りがあった方が良い。コロナの惨禍にあって、と述べるが、この論ではありていな需要の話になってしまい、説得力が足りないと思う。このように、全体的に見ても個別的に見ても、優れた序盤に対して期待値が高まって中終盤に無駄に突っ込んでいる状況に対して、若干バランスさを欠いている、と言わざるを得ない。もちろん新書だからこれでいいのだが、これではネトフリの流儀性は解説で来ていても、戦略性の解説にはなっていない。
この類の本は、新規事業という未知の領域を辿っていくため、ジャーナリスティックな立場に寄りがちだから、どうしてもそうなってしまう、という論理もわかることにはわかる。例えば、情報産業で新しいイノベーションが出てくると、それを即座即報の解説書を出すことはかなりムズカシイ(というかそりゃ無理ってもんです)。なぜかっていうと、イノベーションが出てくれば、それに対して定量的な評価を即断即決でできるものではないから。一定の期間を経て、イノベーションの在り方・その戦略性を論ずるのは可能だが、即にはできない。だからどうしても考察に寄ってしまう…というのが当たり前というもの。だからこそ、だけれども、本書もジャーナリズムとしては興味深いが、戦略としては読みがたいものがある。また、さらにだからこそ、工夫の仕方が求められたと思う。
各作品について論じている部分は各ファンにとって読んで無駄にはならないし、良さ・ヒット性もある程度解説出来ている。だが、本書を読むのはファンだけではないことを著者に思い起こしてほしいと思う。データでもってして戦略性を紐解けている第一章だけ読めば、あとは要らないという評論が多くを占めると思う。コンテンツ論や流儀の部分にフォーカスがあっていて、全編にわたり戦略論と絡めた本では決してない。もっともこれはかなり改善するのが難しいところだと思う。だからこそ、本書だけではなく、ありとあらゆる戦略論を論じる書についていえる耳痛い話だとは思う。だが本書は序盤、客観的な論の完成度が高かっただけに、その点だけが悔やまれる。