漫画短評「BLAME!」弐瓶勉―SF漫画の傑作や! | ゲヲログ2.0

漫画短評「BLAME!」弐瓶勉―SF漫画の傑作や!

バンドデシネの大家エンキ・ビラルも高く評価し、フランスでも漫画として評価が高い「BLAME!」。この漫画で重要なのは描画力だ。よーするにはしょっていえば、”そこにあたかもある種の構造体が存在するかのように描いてしまう”のが弐瓶の描き方そのものなんだな。こん巻から俺も入ったが、これほど衝撃的な作画の漫画巻はほかになかったように思う。

例を挙げよう。

ほかのひとでも弐瓶ファンであれば同調するんは多いだろうけど(サナカンの憑依シーンとか…)、彼が建築家としての技術が漫画に生かされてかなり役立っていると自認するだけはある。例えば、次のシーンを見てほしい。これはたった二ページに収まっているだけのシーンだが、これほど象徴的に弐瓶の描画才能が如実に表れているシーンはこの漫画でほかにない(漫画画像はKindle版同巻60/360より引用)。


みりゃわかるけど、こういったアイデアはふつーの並みの漫画家では絶対にでてこない。SF風の扉が開いて、ケイ素生物の親玉が出てくるだけのシーンだが、これほどショッキングな演出をたったふつーの二・三ページそこらで行うってのは漫画家としての才能がなければよほど無理だろう。例えば扉のテクスチャを見てほしい。この時点での弐瓶の描画力は人物ではあまりいいところがないようにも思うが、(後々キャラ層が固まって画的にもうまくなっていくことは漫画の世界ではしばしばなので)構造物の描画センスとその着想・アイデアのありかたはかなりすごい。

扉の上部に液晶のような画像センサがあって、いきなりジリリリリリリリという過大な音響文とともにギザギザに刻まれた扉の開閉部が二重三重に開く。機能的リアルと空想がまざりあい、弐瓶独自の設計力がいかされてるシーンがここだろうと俺は思う…これが弐瓶漫画の代表作BLAMEのストーリー部分を省いた、重要な特徴の現れたシーンだ。昔ボルヘスが同じようなことを言ってたけど、(繰り返すが)“そこにあたかも物語や構造的なセンスがすでにあるかのように描いていてしまう”ってのはボルヘスの応用として、文学のみならず、建築とか芸術でも同じだ。もちろん漫画でも。そもそも連載編集側も”最初はそのような形の漫画を望んで”いて、”ストーリー性なんかはっきいりってどうでもいい”という方針で連載スタートしたのがもともとの「BLAME!」のスタートダッシュだったという経緯がある。

もちろんのちのちそのスタートダッシュにゃ合わせて漫画の展開を増やしていく方針に変わってからの、並走しているストーリーの本軸も素晴らしい。例えば、「ダフィネ・ル・リンベガと統治局との駆け引き」「ドモチェフスキーとイコの存在」「ケイ素生物との闘争・迫力と魅力あふれるアクションシーン」など、敵味方合わせてすさまじいセンスを持っていると思う。抽象的にハードコアとサイバーパンクに影響受けて作り上げたストーリーもほんとすごいの一言。サイバーパンクつったら攻殻機動隊のパクリとかそういう類ん漫画最近めがっさ多いやけど、BLAMEには弐瓶の考え方・独自の能力がしっかりと表れている。確かに行き当たりばったりの漫画展開といえばそれまでだが、やっぱし最終的にそのセンスはあたかもボルヘスのSF版のようなものに行き着く。その証拠に最後まで霧亥の目的(ネット端末遺伝子の入手)は達成されないのだ!

三途の川のオマージュとか、お得意のシーンをいっぱい用意することで、また、東亜重工の甲的な描画センスで最後まで見事に連載を突っ走ったSF漫画の首席傑作と評価できよう。この後セウ・メンサーヴら合わせて、あるいはづるなどの人間たちも合わせてここからストーリーの本軸をあらかた終えた後は、やはり弐瓶ワールドが再び展開されるわけよ。最後で霧亥たちのストーリーは”消えて”、初めにリジェクト(reject)されてこの漫画は終わる。とある町で眠る巨人の眠たい説明が脳にこだまする…その裏で霧亥の終わらん旅がまた再開されるわけだ。

まさしく弐瓶ワールドの二面性・すなわち描画力とストーリーセンスが並立し、その絶妙なバランス力が保たれた、世界最強のSF漫画である。まあ、BLAMEだって弱点となる穴は正直あるし、昨今の弐瓶漫画(シドニアとか)はほかの要素も多く含んでいるから単純には言い切れない面も反論もあるだろう…。だが、マジでBLAME読んでない人は損してるよ!