これは素晴らしいマンガですよ。これが権利上認められないのであれば芸術表現はできないってことと限りなく同等です。このハルオと大野のゲームに対する姿勢が一話完結系でしっかりと書かれている。それも伏線のようなもの、筋の通った話がしっかりとこの一巻で完結してもいる。話が二つの要因で同時に成り立っているんですね。ハルオはゲームだけが取り柄のゲーマ、特に格ゲーを中心とする凄腕ゲーマ、学校の成績はダメな劣等生ゲーマです。対する大野はゲームが好きなお嬢様のエリート育ち、ゆえに勉強も趣味もすべて満点。ですがここに小学生たったふたりっきりの愛が芽生えるわけです。それも美辞麗句に過ぎないものではない。ゲームに対する知識がしっかりと描かれたうえで書かれたまぎれもない新しい芸術です…。正直感動して泣いた。
やはりこのマンガで重要なのは、この巻、小学生編で描かれている、起承転結ですね。素晴らしいのひとこと。かなりよくできています。ハルオは大野とは最初はあまり仲が良くなかった。ただ、ゲームを通じて彼らはつかず離れずの同志になります。大野は自宅では事実上軟禁されていて、かなり制約がある、ゲームは当然できず、しかしストをはじめとしてゲームのスキルは素晴らしいものがある。ハルオ(もかなりの猛者だが)よりもうまいわけです。そこがギャグタッチに描かれているのがこのマンガ第一巻のほぼすべてでしょう。
ですが、このマンガの小学生編を見た限りでは、やはり最後の一話のシーンがすごすぎる….。小学生がゲームを通じてここまでの愛を語り合うことができる(大野は当然無口ですが)のには驚いた。これは押切の超傑作です。まぎれもなく天才の漫画です。舞台はとうとうバブル期も終えようとする日本、世界がユーゴスラビア紛争で動乱に突っ込むさなか、そんな世界の中で、ゲームが子供たちの草の根コミュニティで流行っているいまだオンラインゲームという存在がほぼ浸透せずなかったころの日本が舞台です。作画は特徴的であって、ですが受け付けにくいというひとにこそ読んでもらいたい。最後、「源平討魔伝」とかストのガイルとか、あるいは初期のダライアス?がオマージュされて印象的にこのマンガを彩るわけです。そこで主人公のハルオが、ロスに旅立っていく大野と最後の再会を果たす。そこでハルオはゲーセンのクレーンキャッチャーの景品だったはりぼての指輪を渡すわけです。
「今度SNKからな…”飢狼伝説”っていう格闘ゲームがでるんだよ…、俺の予想だとこれからどんどんゲーセンが盛り上がってくるぞ。こんなイイ時に海外に行くなんて残念すぎるぜ…お前へ何か贈り物をっておふくろから千円もらったんだ。でもココへ来る際電車賃で使っちまった…帰りの電車賃も考えると結局お前にはなにも買えねぇ…今お前にあげられるもんはコレしかねぇ…(この指輪)お前もらってくれるか?」
「まだ間に合う。俺、走れ!早く!速く!迅く!(はやく)」—大野に会いに行くハルオのシーン(同150より)
最後、ハルオと大野が抱き合うシーンには感動がある、まぎれもなく愛がある。それも異性愛ではない、流行りの純愛とかそういうものでもない。押切が言うのは、素朴でそれでいていかにたったふたりの小学生が抱いた思いが偉大な感情と名誉や誇らしさと両立するのかということを描いた”ゲーマの絆を超えた人間の絆”を実直に演出しながら描き切る心(こころ)です。この世にのこる日本の最高の才能が描いたシーンがこの第一巻の最終回に詰まっている。大野の…大野の左手のくすり指にはハルオからもらった輝く指輪がある…。今人生に悩み苦しむ人に決して見えることのない明日を生きる希望を与えてくれる最高のマンガです…。