ヴァルター・ベンヤミン「子どものための文化史」 | ゲヲログ2.0

ヴァルター・ベンヤミン「子どものための文化史」

ベンヤミンの死の真相は明らかになっていない。今となっては彼の偉大な思想家としての記憶が強いが、その一方で啓蒙主義者としての彼の役割も私としては見逃せない。私も本書「子どものための文化史」を図書館の推薦書に挙げられているところを手に取っただけだし、この類の啓蒙書というものはベンヤミン自体はとても嫌っていたらしい。いうなれば啓蒙家としての役割よりも思想家としての役割のほうがずっと素晴らしい仕事だとベンヤミンは確証していた。ベンヤミンはこの仕事をとても嫌っていて、「パンのための仕事」といってはばからなかったそうだ。

だが、ベンヤミンの評論のなかでも特にこの書物に書かれていることこそ具体性のあるものだと、現代から振り返ってみるといえる。 本書が感動的で、人間のまなざしが感じられるように作られているのはベンヤミンの書技が(そのこころ伴わずとも)光るからであろう。ベンヤミンが子供のためのラジオ放送の教育番組で語ったものがこの著書に要約されて珠玉の教育啓蒙書になっている。中でも感動的で一番泣ける文章はベンヤミンが「魔女裁判」の項目の中で述べていることである。ベンヤミンは次のように本書で述べる。

魔女裁判に反対する闘争は、人類最大の解放闘争のひとつだった。(中略)この闘争が始まったのは、同種の闘争のたいていの場合と同様、認識からではなくて、窮地からだった。

P20~P21より以下同様に引用

ベンヤミンによると「人間の進歩はたいていの場合先見の念からではなく、窮地からだった」というのである。戦争がその”代表者”であり、人類の格段の進歩とは実はいつでも人道的な危機の瀬戸際までいったことで感じられるものであった。ただし、人間の理性を信じたベンヤミンはこのように続ける。

聖職者と哲学者は、魔女信仰が昔の教会にはまったく存在しなかったこと、人間を大きく支配する力を神が悪魔に認容するはずがないことを、発見した。法学者は、拷問で無理強いされた自白には信用がおけないことに、気づいた。医者は、魔法使いでも魔女でもない人間が自分をそういうものと思い込むような病気があることを、公然と口にした。健全な良識がようやく表面に出てきて、個々の魔女裁判の記録にふくまれる、さらには魔女信仰そのものに内在する無数の矛盾を、指摘した。

ベンヤミンは魔女裁判の教訓が実は窮地や危機と隣り合わせのものだったことを導き出す。多くの意見が世界のありかたを変えて、よりよいものへと変遷していく様子をここまで純粋に描く。啓蒙者であるベンヤミンがいうことは実は、人類の歴史を端的に表している。二十世紀を代表する天才的なこの”思想家”はある宗教家の言葉(ふれられているのはフリードリヒ・フォン・シュペーの言葉)を引用しながら、こう締めくくる。

ラテン語とドイツ語のおぞましいちんぷんかんぷんを羅列する数千・数万の文書の山に、彼は一冊の著書をひっさげて対抗する。かれの怒りが、かれの揺さぶられた心がいたるところから透けて見えてくるこの著書でもって、またこの著作の影響力でもって、彼は学者ぶることや、頭が切れることよりも人間的であることを重んずるのが、いかに大切であるかを、立証したのだった。

感情の吐露がすべてを統一し、人々の形づくった理想的な社会を定義する。ベンヤミンはそれを人間の心の機敏としたのであった。涙なしでは読めない、まさしく、十字架を背負った現代の人間たちに生きる希望を与える、啓蒙思想における最高の仕事だといえるだろう。