梅本まどか嬢のドライビングスキルは称賛されるべき立派な能力である | ページ 2 | ゲヲログ2.0

梅本まどか嬢のドライビングスキルは称賛されるべき立派な能力である



まず、タレントが量産されている現状があるということ。だから、特異さをアピールすることで没個性的なタレント業という中であって目立つ色を放つことができる。だから、タレント量産時代に個々のタレントさんが様々な試みを成功させて、サクセスしていることを世間に訴えかける必要がある。そうすることで、埋没せず、自分という物語・ストーリーに積極的に関与して、没個性的なタレント産業に一風を巻き起こすことができるわけですね。そして、タレントとしてもそのほうが、ずっと目立つし売れる。これがやはり基本なわけです。

そして時代は多文化共存・価値観の多様化という局面に達している。だから、多くの人がニッチな分野に進出して、趣味も多様になっている。そういうニッチな局面おさえ、需要に答えるため、ある種の変人さをアピールすることは重要になっていくよね!これはきれいごと、とか、しかたがなく、という意味でなく、必然だと思う。『そういう時代だから仕方がない』としかいえないw。

かつて、リオタールは”大きな物語の終焉”という言葉を「ポストモダンの条件」の中で提示しました。いくらでもこういう哲学的な背景はあるでしょうが、これは資本の言葉としても捉えられる時代になっている。だから、アイドル・タレント産業も大きい物語の中でスターだけ・スターのみにこだわるような時代ではない。多くのニーズに、それに合うように派生した需要に答えることができる条件整備が必要なわけです。スターオンリーの時代ではない。むしろスターオンリーではなく、スターの価値を高めることオンリーな時代に入りつつある。

Googleがなんでもできる人材を欲しいというように、なんでもできるアイドル・タレントはそれだけで、市場に向かって活発的に活動できる。それは、勉強でもいいし語学力でもいい、昔ながらのトーク力でもいい、絵でも特徴ある音楽センスでもいいわけです。一枚絵のクオリティやサイン色紙の工夫でもいいでしょうし、音楽ならそれこそ作曲でも編曲でもいいでしょう。あるいは梅本嬢のようにこうした特異な才能や能力でもまったく良い。好きなことを極め、それで生きていく能力を持つ…これは今後生産性高め競争性を高める人材の資本的な市場のニーズに答えることと、その意味はまったく同じなわけです。Google的水平人材アピールはタレント産業でもまったく同じ構造であるわけですネ。

そういう意味で、この梅本嬢なりの趣味が高じた才能や能力、またご自身が持つ、そうしたスキルに対するスタンスは称賛されるべきでしょう。現代における会社資本主義的な生産主義に沿った、人材その能力の健全な発揮な気がいたします次第です…。