Web3って要するにコンセプトワードなんじゃないの?~ビットコイン(暗号通貨)と時々『新しい資本主義』あと流行りのMBA~ | ゲヲログ2.0

Web3って要するにコンセプトワードなんじゃないの?~ビットコイン(暗号通貨)と時々『新しい資本主義』あと流行りのMBA~



ひろゆきによるWeb3に対する批判

4chanの管理人・ひろゆきがWeb3について随分と批判している。

ニュース番組『ABEMA Prime』に出演したひろゆき氏は「“調べても分からん”は正解だと思う」とコメント。「Web3といって、注目を集めてお金を儲けたいと言っている人たちが、自分たちが『これはWeb3だ』と言い張っているだけで具体的な定義があるわけではない。Web 2.0でも同じことがあった。Web 2.0を言い出したティム・オライリーさんはデータベースに(情報を)集めて、Amazonのような『これを買った人はこれも買うでしょ』みたいなユーザーベースを使うことで、利益を上げていくのがWeb 2.0だと言っていた。だが、あの当時も全然関係ない企業が『うちはWeb 2.0です!』と言っていた。Web3もそんな感じだ。みんなが言っていて、成功した後で『結果として成功したあれはWeb3だよね』と言われるようになる。無視していいのではないか」と述べた。

ひろゆき氏「お金を儲けたい人が勝手に言ってる」gumi創業者・國光宏尚氏と考える話題の“Web3”とは? | 経済・IT | ABEMA TIMESより引用

ひろゆきの言っていることすべてを認めるわけではないが、この言葉は”言い得て妙”である。要するにひろゆきが言いたいことは、Web3というのはキッシーも国会予算委員で言うように新技術・技術革新の事例を総称していっているだけ…ということでないか。だから、それはコンセプトワードに過ぎない☞よってわからないでも一定程度は十分正解に該当する☞むしろ、その程度に受け取っておいた方がいい…というフローだろう。思えば、MetaverseもNFTもDAOもそれぞれがそれぞれの立場から、主として民間の力を活かして発想した独立性ある技術だ。例えば、MetaのVR機器はパルマ―・ラッキーやそれを受け継いだ天才PG・カーマックによって発明・発展させられたものであって、現にそれらの関連領域が当初からWeb3と言われていたわけではない。NFTだって、暗号通貨やブロックチェーンをはじめとして、当初は匿名の人物が発案した論文を発端にするものに過ぎなかった。それは、主体性がないという意味では、マストドンに代表されるようなDAO的な分散シミュレーションの象徴である。ちょー端折って言うと、こんな感じ。おそらく、ひろゆきの発想はあたしのこの意見に近いものなはずだ。

あたしのビジネススクール自体の経験およびミンツバーグのMBA批判

経験からも言っておこう。あたしも修士論文を書く時などは、『具体的に問題を提起し、抽象的なものいいはすべてなくせ』と徹底的に指摘されたものだ。しかも、ビジネスの問題はあたしが指摘された通り”常々そうあるべきもの”なので、ビジネススクールに通う以上は基礎理論をおさえたうえで、応用系としては具体的に考え方を自分で育まなければならない。例えば、企業の多角化について研究したいという学生がいたら、それは徹底的に教員に”しごかれる”だろう。抽象的だからだ。厳しい大学院に入れば入るほどこの傾向は強いはずで、あたしの時などはまだ随分とマシだったほうだ。もちろんあたしはなまっちょろいそんなもんだったもんだからwそれはそれで、今の業務には役に立つどころかむしろ役には立ってない。驚くべきことにそのスクールの金融系の客員教授などは、『MBAは経営には役に立たない』と豪語していたのであるw現にマギル大学のヘンリー・ミンツバーグはこう述べている…という意見をネットで見つけた。

戦略組織論の専門家・カナダ・マギル大学デソーテル経営大学院のヘンリー・ミンツバーグ教授は、MBAに否定的な立場だ。「一般的なMBAでは科学的根拠は得られるが、経験は得られない」からだという。管理職に必要なのは製品やサービス、従業員、企業文化を含め「事業を熟知している」ことで、それは松下幸之助氏のような(MBAが生まれる前の)かつての日本の経営者が持っていた能力だと、ミンツバーグ教授は語る。

MBAは本当に役立つか? 賛否両論について過去記事から振り返る:日経ビジネス電子版より引用

だが、ミンツバーグも含め、あたしの監督してくれた教授陣の言っていることは、今になって見直せば、かねがね正しいことを言っている、と思う。いわば立場上、ひろゆきは、問題の具現化という意味で、Web3を批判し、ミンツバーグや教授陣はMBAの具体性を求めそれ自身を批判しているのである。だから一貫しているのは、Web3にせよ、MBAの理念にせよ、あるいはキッシーの言っている『新しい資本主義』にせよ、単なるコンセプトワードに該当する言葉だ、ということだ。知識を欲し得た人物がそこに意味を見出し、価値や利潤を得るだろう。それは本質的でありかつ具現的なアイデアを所有したものに限られる特権的要素なわけだ。

『ビットコインで一儲け?いまさら、そりゃ無理な話だ!』
だって、それは”雲(クラウド)”の上から降ってくる通貨ではないのだから…