福祉国家と人口問題 | ゲヲログ2.0

福祉国家と人口問題

社会保障の充実した国家、すなわち福祉国家と移民政策は両立しないとミルトン・フリードマンは述べたが、果たしてこの言葉は正確にこの事態の問題に、適切に回答しているだろうか?自由な移民政策をフリードマンは支持したが、福祉国家の抱える問題は何も移民政策の行く末に端を欲するだけではない。例えば、自国内での人口が増加して、その後漸減したとする。するとその増加した世代の負担はだれがとることになるのだろうか?将来的には漸減したところの世代が負担することになるのだ。

つまり、福祉国家と移民政策というふたつの言葉で表すことでは、正確かつ適切にこの状況を説明できない。福祉国家は人口問題と常に共に考えるべき、という方が正しい。本書では、そのオンライン版で連載されたものも含め、気鋭の経営評論家・経営者である著者がこの問題についてふれて述べている。本書も主張するように、福祉問題と人口問題は常々、両者ともに考慮しなければならない、二者同一の問題なのだ。ではなぜ日本ではこの考え方が浸透しないのだろうか?これには大きく分けてしっかりとした理由がふたつあるだろう。

まず、国際政治の問題は軍事力と経済力を加味したうえでの国力の問題であるという前提が、現代の政治の世情にあるからだ。人口が減れば、国力が削がれる。すると強い軍隊を持つことができなくなる。経済母体も強くならない。それどころか内需が減って韓国のように輸出産業に依存する国家経済モデルを標榜しないといけなくなるだろう。中国が一人っ子政策を転換したのは、こうした人口を巡る理由がある。毛時代の生み増やす政策に習政権も回帰している。

また人口の問題、これは次元が変われば価値観の問題でもある。例えば、奥さんをもらって大きな子だくさんの家庭を持つ、ということは、時の価値観としては理解のいく内容である。どこぞの政治家が「女性にはひとりあたり三人のお子さんを持っていただきたい」などと述べ批判を大分浴びたが、この批判はずいぶんと本質を得ていない的外れなものだ。むしろそういった『昭和おやじの価値観』は今でもあってもいいし、なくても別にいい。価値観の問題は個人に分け隔てられた別分野それぞれにクラスタリングされるものだから、(少なくとも)家庭レベルで考えれば、この論は否定も肯定もできる。そこにあらゆる個人が、そういった主張をする別個人に、そのレベル内で指摘し叩くいわれはまったくない。ことの事態を複雑に見えるようしているのだ。

ただし、強調しておきたいのは人口問題・人口統計学という学問は実は国会レベルで有識者を呼んで議論すべき本質的な問題だという事だ。これは、国力・軍事力・経済力…あるいはその総合的なレベルにおいて、持続可能な社会福祉モデルを作り、さらには開発持続可能な社会を作るための環境問題政策を策定する上でも避けて通れないことである。内閣府はこの手の議論に既に本格的に着手している。間違いなく、今後は国会で議論すべき主な議題になるだろう。

『人頭を数える』ということは、それだけ、矮小なレベルにおける価値観の問題・主観的問題とは別に、客観的に議論しなければならない、地味だが難解な問題なのである。