「エルデンリング」に象徴されるようにフロムはわざわざオープンワールドゲームを『作らない』 | ゲヲログ2.0

「エルデンリング」に象徴されるようにフロムはわざわざオープンワールドゲームを『作らない』

4Gamer.netの御月記者が伝えるように、フロム・ソフトウェア期待の新作「エルデンリング」はOWゲーにはならないようだ4Gamer.net)。今回は同記事のレビューと重ねて、なぜフロムがオープンワールドゲーを作らないかを、いくつかフロムの事情と事例を踏まえて考えてみよう。

4Gamer.netの同記事は正直言って大手のメディアにしては若干記事の内容がこまっちくなっている。率直に言ってゲームの専門メディアとしてはあまりいい出来じゃない(個人ブロガーのあたしの言えたことでないかもしれんけどw)。別に記者や企画が悪いわけじゃない。むしろ、まだまだプレイ時間が足りないのでは?と思わされただけ、のことである。

まぁ、とりま、この記事をまとめるとこうなる。

記事の概要まとめ

①フィールドの解説…フィールドは広大で、次世代機にカスタムされたもの。フロム公式筋ではオープンワールドと呼称せずに、オープンフィールドと呼称している。よって記事内でもオープンフィールドと、本作のフィールディングシステムを呼称している。フィールド設計に合わせ、召喚システムやファストトラベルが便利に実装された。

②操作系の解説...ジョブなどの導入と共に若干変化が加わった。端的に言えば、『(ダクソ+SEKIRO)÷2』、といった感じに仕上がっている。ヒット&アウェイが基礎になり、弾き要素に代表されるSEKIRO色は薄くなり、むしろ、ダクソ色が濃くなった。

③んであとはいつものフロム…あとはいつものフロムゲー。特にカスタム要素および追加アクションシステムがあるほかはフロム死にゲー基本に忠実な出来なので、安心してフロムの沼に浸ってほしい。

といった感じか。これを総括してみると、やはりフロムは基本に忠実なゲームを作ってきたといえる。つまり、ギャンブルに走らなかった。新しい基軸として増やしたのは操作系やジョブ、カスタム要素などの微調整に留まるのだ。フロムの死にゲーなりにその諸要素をちょい新軸として交えたのみで比較的かなりシンプルにまとめてきた、それでいてフィールドは広大なゲーム、といったところだろうな。簡単に言ってしまえば、『今作(「エルデンリング」)でフロムはオープンワールドシステムは作らない』とほぼほぼ断言できる。

前々から言っているが、ゲームにおける自由というのは不自由と拮抗する諸要素である。よって、自由は不自由よりも先見の念あるものとして、それらが自由度としてP(プレイヤー)に渡される。そして、自由と不自由こそゲーミングの実装要素でもある。その拮抗がバランスを作り、Pの自由度を最終的に決める。『なんでもしていいよ』『なんでもできるんだよ』というゲームは、GTAなどのロックスター製ゲームではありかもしれないが、フロム製ゲームとしては不適格・不合格なゲーム設計要素なわけだ。これについてはあたしやファメがいくつも記事を書いているので、その内実を知りたいのであれば以下を参照してほしい。

意外と気づきにくいが、これが『オープンワールドに潜む罠』なのだ。

好きなときに好きなクエストを自由にこなせる、人間模様が多彩で行動性が広い、クラフトシステムを中心とした箱庭系の拡張性がある…オープンワールドはいくつもの難題を抱えながらも”世界内世界”という概念でゲーム業界に旋風を巻き起こした。だが、その罠にひっかかるタイトルが最近多すぎると思う。この「Deus Ex」シリーズ最新作でさえそれは同じ。

いわゆる線形モデルからいい意味でかい離した非線形系ゲームモデルを標榜しているのがオープンワールドの特徴なはずだ。 要するに自由度が高く、世界を冒険できる。だが、そこに罠があるのだ。オープンワールドでもなんでもなく、プレイしてみるわかる点は、既存のワールドをメタに・ありていに模写しただけ。メタルギアシリーズ最終作でさえそうだった。システムに対しての不満や鬱屈が爆発し、高評価をつけるレビュアーが減ってきている…これは目に見えてわかる。

~(中略)~

本来、ゲームはゲームであって、プレイヤーがその中にある空想や妄想にダイブすることで快感を覚えるものだ。だが、我々の社会における自由度とゲーム内における自由度を考えてみると、このオープンワールドへのアクセスは一介の企業が設計するにはあまりにでかく肥大している。絶妙なバランスが必要とされるゲーム業界でこういったことが起きるのはむしろ自然であり、模倣的なゲームが無駄に増殖しているのにはネガティブな感情とともに納得がいく。

「Deus Ex: Mankind Divided」に見るオープンワールドの難解性
本サイト(ゲヲログ2.0)記事より

これと同じ様子をフロムのゲームに当てはめてみると、明らかにフロムゲーはOWの理念のそぐわない…と言えるだろう。ある程度レール・ルールの類は剣戟死にゲーものでは当てはめでなけりゃ、ヒットしない。

『本来ゲームはゲームであって、そこにダイブすることで快感を覚えるもの』という基本最適解のある最強のゲームIPをうまく転用することがフロムの脳の核心部分・コアの部分なのだから、フロムが今作「エルデンリング」でオープンワールドを採用していないことは当然のことなのだ。このシステムを採用して失敗した事例が、かの悪名高き「Cyberpunk 2077」だった。あえて勇み足を踏む必要はソフト売り屋としてはいらんわけだ。

だからこそ、フロムはOWを嫌っている。むしろ無視してる。百歩譲ってむしろそれを採用すれば、全体の規律不全を引き起こすのは当たり前のことだ。それに気が付いている、だからこそ『目的は単一に、原理は単純に』するのがフロムのゲーム脳なわけ。これは「キングスフィールド」に始まり「アーマードコア」に至るまで同じ思想だ。そういったアナフィラキシーに敏感なゲームソフトウェア会社、それがフロムが偉大であり続ける理由なんだと思うな。

『自由が欲しい時は、他人に頼んじゃいけないんだよ。
~君が自由だと思えばもう君は自由なんだ。』

かもめのジョナサンの著者 Richard Bach の言葉より

~アイキャッチ画像:Wikimedia Commonsより…CC 表示 継承 2.0