漫画レビュー「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!(20巻)」”精神の欠点は、容姿の欠点と同様、年齢とともに大きくなる” byアンドレ・モーロワ | ゲヲログ2.0

漫画レビュー「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!(20巻)」”精神の欠点は、容姿の欠点と同様、年齢とともに大きくなる” byアンドレ・モーロワ

いやぁ工夫してきたなぁ…って思いますね。

南の視点が多いんだけど、サチら悪友との関係にギクシャクが生じる。彼女の悪い口癖・性格がずいぶんと、学校生活どころかひとりの人間として、やばめなことばかりを招きますね。こういう点、南と違い黒木はしっかり自分を変えていった。かなり努力してね。陰キャじゃなくなっていってて、人間関係上手くなっているんだよね、黒木は。

根本・田村ら仲間の支援(?)もあって彼女は学校生活を変えていったんですよ、失敗しつつも…。その反面、自分の性格に黒木ほど素直になれず、悪いところも認められない南は悪い箇所ばかり大きくなっていく。表紙に書いてある通り、この20巻では南が主役といっても過言ではないです。自主映画の作成を提案する黒木はしっかりとクラスになんだかかんだいって馴染んでいる。自分にも嘘はつかない性格、それが黒木の性格です。ただ、南は性根がほんっとに悪い。かつてモーロワは言いました。『精神の欠点は、容姿の欠点と同様、年齢とともに大きくなる』と。まさに南のことです。根っこでは黒木は南ほど性格は悪くない。むしろいいヤツです。

そして南のその悪い部分を示している、最たるものが最後、南とサチが仲たがいにするシーンと裏合わせになっている、慣れあい始めたときの小話ですね。テレビで不慮の事故で死んだ人物のニュースを笑いのタネにする…というくだりです。これを最後に持ってきたのはインパクトが大きすぎる…。思い起こしたのは、橋下徹がオリパラの開会式セレモニーの例の担当者を評したことですね。反省して過去の行いにしっかり向き合って、謝るべきところは謝ることが大切だと、橋下は自分の過去の非も含めて言っています。

橋下さんは「小山田氏には被害者に償いをした上で、再び頑張って欲しい」と本人の再起に期待しつつ、「しかし償いが終わる前に、時間が間に合わないからといって彼の楽曲をそのまま流すのは最悪だ」と断言。「いじめ」被害者が障害者であることから、「パラリンピック選手たちにあの楽曲を送ってどうする?組織委が決断しなければスポンサーが判断するだろう」と追及した。

Yahoo!ニュースより引用

南には橋下が言うほど反省の念も、悔恨の念も全くない…。こういった南の話を20話ここらで挟んだのは多層性のある重厚な人間の漫画であることを本作が呈しているからに他ならんでしょう。単なるキャラ漫画でもギャグ漫画でもなんでもない。人間の多様性、またそこから発進して、多様性が示す悪い点をこの漫画は読者にドキリとさせるほど、冷徹に描く。人間のギャグさ・修学旅行のときのテンションとは全く違うスタンスで描く。谷川の感受性がさまざまなところに向いていなければ…そうでなければわたもてはここまで10年も続かなかったでしょうし、読者にも支持されなかったことでしょう。

今回20巻という、また10年という節目を見て、ここまで様々な観点を示してくれる、まさに人間の漫画をほかに見たことがないと思うほどです。本作は本質的に人間の存在価値を哲学的観点や倫理的な観点から描いたものではないですし、それほどの根源的なパワーを真正面から感じるものでもない。だが、そのポップさ・軽快さと共に人間の本来あるべき『正直さ』という取るべき道を、かなり工夫凝らして、長いスパンで描くことには成功している。人生の”過誤”をしっかりと描いてはいる。この20巻を見てその点をひしひしとあたしは感じました。

苦しさや悔しさ・反省の念のみならず、やっと漫画の中での話ということで、それらを客観的にみて気づき、ドキリとさせられるほどの”つらさ”を感じる作品ですね…