ネットいじめ対策とネットのノード『法が”それ”を利用し活用されるときまで』 | ゲヲログ2.0

ネットいじめ対策とネットのノード『法が”それ”を利用し活用されるときまで』

根拠のない風説によって歴史上失われた命は多い。魔所狩り・ナチス・そしてホロコースト…その多くが人の内側にある悪魔的バイアス『リスキーシフト』だったことを我々は忘れてはならない。<本文より>
※Source of Photo: The BLOODCURDLING real life tale that inspired new witchcraft novel The Familiars

報道によれば、ネットにおける執拗な個人攻撃がもとで、著名なコンピューター機器エミュレーターのエンジニアが自死したという。この記事を受けて日本国内のメディアもそれを報じている。この手の問題で一番肝要な点は、『法と感覚がかけ離れすぎている』という問題だ。これはかつてここでも、リアルとイマージナルという概念で論じたことがあるが、それとほぼ同じ構造だ。自死の問題・いじめの問題は定義が問題であり、それを取り扱う法律の存在が問題だ。定義がなければ規範がなく、規範がないという事は(法律による)定義がないという事である。ネットを含めたいじめを罰することができれば、この問題は一般的な社会問題として取り扱えるし、それを責任論として提起することができるようになるだろう。例えば、この自死したエンジニアの遺族が訴え出れば、ある程度の刑事民事責任を追及できるような法システムを作ることは、実は一般論としても重要なことなのだ。

何度も言うように、法律は立法行為で実効される社会的規範であり文章で定義された基本ルールである。それを感覚という人間の言葉で話せない・語れないところにあるものを文章によって定義しルールづけようとすると、この時点である程度の無理が生じる。つまり、人間の制定する法と人間のこころの内面とを照らし合わせたときに矛盾が生じるわけである。これはネットワークによって繋がれた人々の心理を考えれば、しっかりと説明がいく。限られた文章数であるツイッターで人の心を定義できるだろうか?それは『無理』というものだ。

池田も言うように、これほど立法論と解釈論とで法律と感覚がかけ離れているのであれば、それは感覚の解釈で対応するか、立法論を是正し感覚との乖離をなるべく少なくし書かれたまま運用するふたつの解決策しかない。また、別の相対する対立団体で、孤立したそれぞれに値する別の論述の場で論考を繰り返すだけでは、その議題に上がっている問題の解決は無為に終わる。それは意見の『集団分極化(リスキーシフト)』を招き、より過激な思想を先鋭化させていくことに繋がる恐れが高いのだ。意見の違ったもの同士をある程度ミックスしなければ人間の解釈および立法を巡るこの問題は解決しない。この分野で最も権威のある学識者がまず間違いなく、ハーバード・ロースクールに籍を置くキャス・サンスティーンだろう。彼は著書「インターネットは民主主義の敵か」で、この問題構造を如実に書き出し、解釈と立法の抱える問題点、もっと言えば、民主主義の持つ問題点を著作として書いている。

日本で求められているのは立法論である、という立場である池田もある程度見過ごしていることだが、国内でもこれは度々論述される問題だ。よく最高裁が「一票の格差」「夫婦別姓制度」について『法に反してはいないが、立法府でしっかりと議論し解決すべきである』という判断を下すのは、この前提となる問題があるからだ。これが、感覚と立法の乖離を是正するべくして、『立法府に議論を促す高度な問題である』ということの判決である。日本でこういった問題を議論する余地は大いにある。新しい視点を法学に提供する新領域法学という概念もまた生まれた。

確かに第三の解決策として解釈・立法に依らずに技術のイノベーションによって問題を克服する方法はあるかもしれない。だが、今後数十年待たないとそれは実現しないだろうし、それを待っている間に失われるであろう人権や人命を見逃すわけにはいかない。また、その倫理性も問題になる。だから、今後日本に求められるのはまさに、いまできることである立法による定義の問題をしっかりとすることだ。これをしっかり行えば、人間の感覚の問題をある程度は立法で”すくうこと”ができる。その後、立法の解釈である程度修正ができ多角化した社会に適用できる。次問題が提起されたら、立法やそれにつながる対話によって解決し、その後また解釈で修正するというルーチンを打ち立てることが求められるだろう。

立法とその解釈という概念について大きく理解を示し、民主主義の果てに理想があるという幻想を捨てれば、国内の抱える問題もある程度は柔軟性をもってみなで取り組める。そこで、ネットは基本的に問題を解決しない。なぜならば、ネットは限られた文章でしか、世の感覚を”すくうこと”ができないからだ。だから、意見の表明と議論と立法その後に続く解釈という一連のフローに深く理解を示すことが重要なのだ。ネットいじめにまつわる定義、それを防ぐためあるいは社会的罰を定義するための法律が感覚論からはじかれないように打ち立て、論じ、修正していくことはこの後数年間は少なくとも必須なわけである。その基本的な法に対する態度が生まれ、根付いたとき、ネットワークのノードはうまく息をし始めるだろう。

これまで我々が辿ってきた道を振り返ってみると、根拠のない風説によって歴史上失われた命は多い。魔所狩り・ナチス・そしてホロコースト…その多くが人の内側にある悪魔的バイアス『リスキーシフト』だったことを我々は忘れてはならない。