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【ゲヲログ傑作劇場】本田透と加山雄三にみるひとを信じる力

【ゲヲログ傑作劇場】本田透と加山雄三にみるひとを信じる力

書籍画像:Amazonより

本田透の著書って概してこういう批判にさらされる。「自分の感想を書いてるだけで、肝心の論を意味付ける内容がない」って。

でもそれって意味ないことなんだろうか?俺はそれだけだとは決して思わない。感想文が読み物として面白ければいい面もこういう新書にはある。神谷さんの著書は本田のそれを凌駕していてもちろん部分的には十二分面白い(だが論理が足りない&オリジナリティが足りないって俺は批判した[リンク切れ]けど)。そして肝要な部分が本田の反骨精神だ。

例えば、本田はこの著書(やもろもろのインタビュー記事など)でこういうことを述べている。

「学校教育とはクズそのものである」
「俺は片親の母親に精神的に虐待されて育った」
「遺産で独学で勉強して受かった早稲田の哲学科に進学した」
「大学院進学のとき新専攻志望で、早稲田院始まって以来推薦で落ちた初のケースだった
「それは”この大学院の理念は素晴らしいが内容が屑”とエスカレータ入試でいったから」
「妄想力こそがコンテンツ力だ」
「自殺するぐらいなら学校を否定し自分で自分の道を切り開け」と。

この論理はたしかに客観的(objective)ではなく、決して「自殺するならひきこもれ」をまっとうに擁護できるものでもない。単純な論争の具にもならない単なる主観(subjective)論である。確かに尼レビューにあるように自分の感想をたらたら流してるだけで、なんの具体的な提起にもなってない。だが、その人生の反骨精神だけには見習うべきところがある。本田のそれは、自力で勉強し、自分の成果を個性として出せというロジックの押し付けであるが、これは若者がただひとつだけの得られる、大人への反抗であり、その性質を正当づける主観論である。だが、すべては自分の力量のみを信じ切ることによって変わる…と本田は述べている。この点は彼の経歴をみても見習うべき点が大きい。本田は加えて自身の体験としてこのように言う。

「今著述業をしていることに関して、親族にまったく連絡はしてない」

なぜかというと…

「彼らは俺が”名門早稲田”に受かった時手のひらひっくり返したから」

また…

「俺が就職してすぐに退職したときもまたまた手のひらひっくり返したから」

とwww

この精神性の強さ・粘り強さはすごい。批判されて批判されてもカルマにとらわれずジョブズ流に生きる、「自分の何かを信じてみる」ことを実践している本田だからこそ言える言葉だ。だから本書に意味があるとすれば、端的に言って本田透の反骨精神のみである。これが垣間見えるという点で、また本田がこの後もコンスタントに恋愛資本主義などの主観論で文芸的に(ある種のw)名声を得ているということに関してはある程度は納得せざるを得ない。少なくとも、本田の自分を信じ学校を否定し自分の力だけで弱肉強食・自己責任の世間の中で”食っていく”という価値観だけは見習うべきだ。昔、加山雄三が似たようなこと言ってたことを俺は同じく思い出すわけだ。

「陸の仲間は俺が資産を失ったときはみんな俺のことを見捨てた」
「だが海の仲間・船の仲間は違かった」と。

加山が、バブル弾けて大きい債務を抱えた時、陸の仲間友人はみな加山の元を去っていった。加山は、海を、だからこそ信じた。そして船の仲間は海の生んだ雄大な自然、そしてそれらが人工物という港と融合し、見事な景色を彩り、その系譜に俺ら海びとがいるということ。これを誇りに思うと加山は言ってたっけ…本田の論も奇妙に加山の心に似ているものがある。反骨精神+ほんまの仲間…これが感動だという点では加山の自然な論理や本田の”勝手な”論理に思うべき点・胸を打つべき点は十二分にあると思う。

白旗掲げて、今日も本田が食っていけるのは本田の主観論があってこそ。だが、それこそがこの、自己責任と弱肉強食の資本主義の世を生きる、その術(すべ)だという一定の評価だけはあっていいのではないか?本田のこの本を読んで俺はむしろ内容の浅薄さ以上にそう思う。たしかに駄本だがそれを正当化できてる。本田なりの自己正当化はけっして極限まで色あせたものではないと俺は感じている。


【~綾野の解釈~】

バブル期、多くの芸能人が投資・投機に走り失敗した。彼らの多くは手持ちの資産をもっと増やそうとして、不動産に投資し失敗したわけだ。そして、今、まさにバブル期と同じことが全世界的に起ころうとしている。どの国の政府も、積極的財政政策を発動し、同時に金融供給政策をとり続け、市場に資金を注入…伝統的な市場放任の政策はなくなり、世界的なコロナの流行に伴い、それに反対する実行的な勢力もほぼ皆無。株式は実体経済と行き違い、高騰し続ける。

このままいけば、バブルははじけて、通貨価値が低減、今までデフレだった状態は一気に反動し、スタグフレーションに転化するのは間違いないだろう。それは政府の借金を目減りさせる目的を達成することはできるが、社会的な混乱を持たらすのは必至。もちろん、内国債によって先進国家が破綻する、ということは考えられないという論理はあるが、では無限に国債を発行し続けて問題がないのだろうか?それらが今、政権政治がやっている壮大な実験だとあたしは思う。

一般の国民が取れる、有望な選択肢のうちのひとつが、資源、特に金(ゴールド)や炭素(カーボン)を買うことである。あるいは、本田が本書で言うように、はじめっから戦わない、『白旗を上げる勇気』を持つことだ。実は本田の論理はそういう意味では選挙や金融などの政策に応用できる、意思決定という高度な論理の側面があるのかもしれない。現に、選挙を『棄権する』こと自体を意味のないこととするのはナンセンスだ、と思想家の東は述べている…

この意見、ガチで数年たった今でも色あせてない。

※この企画【ゲヲログ傑作劇場】は、バーチャルネットアイドル綾野純がファメによる過去記事を微修正しながら復刻、過去記事の中でもより良くできた記事のみをトップに再掲するという企画です(しばらく続く予定…)。