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【ゲヲログ傑作劇場】「干物妹!うまるちゃん (6巻)」漫画レビュー 良識ある懐古主義

【ゲヲログ傑作劇場】「干物妹!うまるちゃん (6巻)」漫画レビュー 良識ある懐古主義

干物妹! うまるちゃん 6 (ヤングジャンプコミックス) …うまるもとうとう完結してた…賛否両論あれども、この漫画のいいところってのは「懐古主義」やと思う。

巻の中で一貫していいものが「思い出」っていう第6巻の回だと思う。イメージがきちっとでてたのは、やはり兄と妹という関係性には限らなかった、と。この回のシルフィーンとうまるとのやりとりは涙もの。その小話を振り返りながら書いてみる。

ある日、うまるとシルフィーンはいきつけのゲーセンに行く。するとそのゲーセンは店休日がしばらく続くということが張り紙で伝えられていた。

シルフィーンはそれを見て、うまる(別の偽名U・M・R)に「近くのデパートに行こう」と提案する。そうして、うまるたちはデパート「タイエー」に行く。レトロな風景やゲーセンの筐体が並ぶ中で、彼女たちはその古き良きシーン、ノスタルジックさに感動する。

その後、うまるはそのデパートの光景が忘れられず、帰宅後兄に「一緒にいこう」と言う。兄はこう返す―「あのデパート閉店するんだって。取り壊すらしいよ」と。

うまるはシルフィーンの最初の「デパートに行こう」という提案を思い出して、そのデパートの事情(閉店)をすでにシルフィーン自身が知っていたことを感じとる。

うまるは、子供心に戻って感動した光景が思い出に代わることを、ここに至ってかなり印象深く振り返る。重機で取り壊されるさびれたデパート「タイエー」…ここはうまるとシルフィーンとの若き頃ゆえの、しかし同時に大人びた成熟した”「思い出」の場所”に他ならなかった。シルフィーンはこう言い、うまるは次のように返答する。

『なんだかこういう場所ってのこっていてほしいですわね』『私とU・M・Rさんがいつか大人になっても変わらず・・・「あの時はー」なんて言いながらまたこう話すんですの』『そしてそんな話をしてて「友達でよかった」って思うんですわ』―『大丈夫だよ残ってるよ!ずっと変わらないよ!』(vol6 p123より)

うまるたちが感じたことってのは、ガジェットやモノというありていな財産ではなく、感情の機敏というセンシティブなものやった。そして、それこそが、シルフィーンとうまるのやり取りで、彼女たちの物語を追っている読者にこそ刻み込まれる、かけがえない「思い出」だったのだ。 この見慣れている風景も私たちが大人になると全然変わったものになるでも風景が変わっても変わらないものもある思い出の中に残ってる(vol6 p126より)


【~綾野の解釈~】
あたしの近くのゲーセンも少なくなってる(SEGAの店舗がひとつあるだけで地元の商店街は自然消滅)。学生の良いたまり場になってた環境はもう無い。

これには、過疎化が進む地方はもちろん、都市部もまた再編が強く求められてるっていう現状があるものだと思う(もちろん、ゲーセンや地方スーパーの需要が減ってるという理由もあるし、また、家庭用ゲーム機など@Homeでの遊び方が流行なことも理由だと思う)。

うまるで表現されたものは感傷で描かれる理想論だけで、本質的な部分には全くと言っていいほどふれてない。無論、漫画だからこそそれを社会問題にはしない。当たり前のことだけれども、それがうまるのいいとこ。

当たり前の通りに、ノスタルジックな風景だけを描き、そこから自分たちの未来をより良いものにしたいという彼女たちの快活さの機敏は素晴らしい。

“誰かが来て誰もが辿ってきた来た道、またいずれ辿るであろう道”
そこに、彼女たち若者特有の元気な記憶がある。それが、ただ、存在するだけで意味のある『思い出』っすね。

※出展-「干物妹!うまるちゃん」第6巻より-

※この企画【ゲヲログ傑作劇場】は、バーチャルネットアイドル綾野純がファメによる過去記事を微修正しながら復刻、過去記事の中でもより良くできた記事のみをトップに再掲するという企画です(しばらく続く予定…)。