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『日本における博士号取得者の未来は悲惨だ』という意見について

『日本における博士号取得者の未来は悲惨だ』という意見について


俺の姉貴は旧帝大の出身です。曰く「博士号持ちは、いい仕事がなく、毎日が不安定です」とよく言います。弟の俺からすると、なぜこういうことがいえるのかよくわかりません(俺は⇑のように曖昧な英語しか使えないレベルですが…)。この大学といえば、クロスカップリング反応を発明したノーベル化学賞受賞者OBもいるほど立派な大学です。なぜもっとそのことを誇りに思えないのでしょうか?

それ以前に、矛盾したことを言うのは、高度な学問を修めた学徒としておかしい。彼女の仕事は、実は化学研究室(おそらく推察するに、質量分析=MSという分野です)のところなんですが、しっかりとした形で正社員の職を得てます。彼女の夫は同大学院での博士号取得者らしいですが、農作物の品種改良といった研究職をしっかり得ています(これまた正社員です)。これ以上、何が不満なんだろうか?一体、何を求めたいのでしょうか?

彼女はさらに言います、「勉強したことは役に立つ」と。これも二重三重の矛盾です。「勉強したことが役立つ」ならば高度な業績を上げて英文で論文を執筆し、学会発表することで、アカポスを偉大な先輩と同じように求めればいい、それだけの努力すればいいだけです。その努力ができなかった人が「勉強したことは役に立つ」とは本来は言えないはずだ、と俺は思います。

俺の大学に来てた数学の非常勤講師は学校の講段で「いままで学生の質問に答えられなかったことは一回もありません」と豪語してた。「間違いを見つけたらその時点で加点」とも言っていました(実は微分の間違いを俺が発見して加点してくれました⇛加点してくれなくてもS評価もらえましたw)。

そのかたは数学の分野で仏パリ大学に留学し、アラン・コンヌのもとで非線形幾何系の微分学?みたいなことをやってた方でした。こういうかたが「勉強したことは役に立つ」というのであれば納得はいきますが…それだけのことを言えない方が「勉強したことは役に立つ」といえるのであれば、それ相応の態度を示すべきです。

例えば、「博士号持ちの未来や待遇が悪い」と主張するのであれば基礎的な学問上の問に答えられるべきです。少なくとも問題を解決できた上で、そういうことは言うべきだと思う。それでは、そういう人にこういう問題を出したらどうだろうか?具体的に問題を作れて、それに答えられてこそ、ポストを得ていい人なはずです。

例えば、今ある無限に高い高さを持つ部屋に粒子一個を閉じ込めたとする…(水素でもなんでもいいですが)。その時シュレディンガー方程式から定式的にその粒子一個分の持つ基本エネルギー準位を求めよ。とか…あるいは、

DNAと遺伝子の違いを説明した上で、DNAとRNAとタンパク質の重構造についてそれぞれ説明せよとか…

あるいは、運動量におけるスピンの役割とは何か説明せよとか…また、

三平方の定理を証明せよとか…

そもそも、そういうひとにy-a/x=0という方程式を、yについて数学的に精緻に解けとか…

はたまた、方程式とはなにか説明せよとか…

こういう基礎的な問題すら解けないのに、文句を言うのはおかしいと思うんですよ。あと、学問修めたんであれば、客観的な見識ができるということだろうから、そもそも自分が日本に生まれたこと、奇跡的な確率自体に感謝したほうがいいのではないか?南スーダンやシエラレオネに生まれた子供はそういうチャンスすら与えらないわけで、「他人の身になって考えられる学徒」とは言えないと俺は思います。

そもそも、生まれた国がアメリカであってもシンガポールであっても最近は同じだと聞きます。なぜかっていうと国家が近代化して受胎調整が進む⇛少子化になる⇛アカポスが増えるわけないという定型的な流れがあるからです。

『日本における博士号取得者の未来は悲惨だ』と公言する前に、もっとやれるべきことがあったのではないか?これはなにも彼女についてだけ言えることなのではなく、多くの人について言える論理だと思います。もちろん俺にとっても。

モノマネから始まる、それが独創性につながる。その経過に努力がある。オリジナルを目指せる、だから頑張れる。1000円紙幣で有名な偉大な先生のことをふと思い出しました。

模倣から出発して独創にまで伸びてゆくのが、日本人の優れた性質である。
それは逞しい能力でもある。
―野口英世