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お釈迦様のことば

お釈迦様のことば

釈迦または釈尊とは仏教の開祖である。もともと王家の王子として生まれた釈迦は何不自由ない生活を保証されていたが、それを拒否し、修行に出た。そのうち悟りを古代インドの菩提樹のもとで開いた釈迦によれば、人生はだれしもが苦難の連続なのだという。すなわち生老病死という四苦に人生は満ち溢れていて、それを意識する生命が頑としてあると、すべての生命はすべての苦しみにつながるという。これを一切皆苦という。よって人々はありとあらゆるものが転生する(輪廻転生)中で、苦しみが苦しみを生む世界を解脱するために、ダルマすなわちという倫理を実践することが重要だと説いた。

釈迦は生命はすべての生命につながるためにその尊さを説いて各地を回った。すべての生命は時間を通じて、すべての生命につながっているためにその不殺生を実践することが求められるとした。これをインドの言葉でアサンヒー、という。一寸の虫にも五分の魂と後世の人々が伝えたのはこのことである。釈迦はそういった仏教の教えを実践する上で、現世から解脱することができ、それが悟りや真実の道に近づくことだと教えまわった。この域に達した状況を、ニルヴァーナと呼ぶ。ニルヴァーナ、すなわち涅槃にたどり着くこと、その事自体を熟語で別名、涅槃寂静という。

釈迦は偶像崇拝を禁止しなかったが、推奨もしなかった。また、書物や経典をまとめることもしなかった。そのため弟子たちが釈迦のことばや教え、その御姿を後世に残すために彫刻や経典にその言葉や成り立ちをまとめたという。これがスッタニパータという最初の言葉であり、これは古代インド語で「お釈迦様の言葉」という意味である。

釈迦は神の存在も認めなかったが、認めることもしなかった(不可知論)。

ある時、釈迦の一番弟子が釈迦の神の存在についての問答を聞いていた。はじめの尋ね人は釈迦のこたえに満足して帰っていった。釈迦はこう答えた。「神はいない」次に来た尋ね人にはこう答えた。「神はいる」最後にたずねてきた人には、何も答えずにただ瞑想し沈黙を貫いた。するとそのものは涙を流して「ありがとうございました」とだけ答えて帰っていった。弟子はこの様子を見て、なぜ釈尊が矛盾したことを言うのが理解できなかったためその理由を問うた。釈迦はこう答えた。「最初に来たものは神がいると強く信じ込んだものだった。次に来たものは神がいないと強く信じ込んだものだった。そして最後に来たものは神がいるかいないかを本気で悩み苦しみながらそれを考えているものだった。それゆえそのものは真理への道に一番近いものだったのだ」すると釈迦は最後にこうとだけ答えた。「私は神がいるとは言わない、いないとも言わない、神がいるともいないとも私は言わない」

弟子たちにこういった真理への道について説いて回った釈迦は、毒キノコを食べて腹下しで死んだと言われる。これを正式に釈迦の死去、すなわち入滅という。

釈迦は入滅の際、弟子たちにこう最後の言葉を送った。

「ただ、ダルマ(法)に帰依し、法を道筋として、それを拠り所にして生きよ」と。