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ダニエル・ケン・イノウエ—ある日系アメリカ人の軌跡

ダニエル・ケン・イノウエ—ある日系アメリカ人の軌跡

戦時中、日系アメリカ人は徴兵されて、ヨーロッパ最前線に戦争のため、送られてきた経緯がある。彼らは当時、被差別民であり、しかも第二次大戦において「本来の母国の軍隊である日本軍とは戦わさせない」という、戦時中とはいえどもセンシティブな倫理的問題をはらんだ環境にあった。日系アメリカ人部隊でもっとも有名な部隊がいわゆる「第442連隊」である。この部隊は、軍内でも人種の問題により特殊な立場にあったが逆境をもろともせずに戦争を戦い抜いた。「442」は勇猛果敢に戦地で戦い、アメリカ軍部隊のうちで最も多く勲章を得た部隊として今でも国際的に知られている。彼らが名誉回復されるまではかなりの時間を要した(無論、戦前の移民の時代から)が、戦後、様々な人種問題が巻き起こったアメリカ合衆国のうちで最も尊敬すべきマイノリティーとしてアメリカ全土から認識されるまでに至った(これが主たる「日系アメリカ人の権威回復」の経緯である)。努力家である日系人の中には、貴重な公職につくものまで多くなっていった。

そのうちのひとりで最も有名なのが、間違いなく、ダニエル・ケン・イノウエ(Daniel Ken Inouye)である。彼はヨーロッパのイタリア最前線で敵の銃砲火をかいくぐって、巧みに自らが率いる小隊を組織し、さらに、敵の炸裂攻撃により右腕を失いながらも、痛みに耐え果敢に戦った勇者であった。イノウエはハワイ大学の出身であったため、もともとキャリアもあり、戦後は有名大学のロースクールで法学博士号を得るなど、文民としても相当の努力を積んだ。その成果もあり、ハワイ州議会の議員を務めた後、民主党の基盤を継いで上院議員までになり、アメリカ合衆国を代表する偉大なる象徴的マイノリティーとなったのだった。その後、民主党を代表する重鎮として重職を担当し続けた。88で死すまでアメリカ議会で強い影響力を保ち、それは誇り高きアメリカ合衆国民の勇気とダイヴァーシティの理念とともにあったのである。

戦後そうたたないうちに、努力家であったイノウエの名前は米国全土に知れ渡り、その勇猛果敢な軍歴や、その後の文民としての誠実な人柄は、全アメリカ合衆国民から大きな信頼を集めた。イノウエが高齢になったとき、その果敢な戦歴・誠実な人柄・崇高な人格が高く評価され、文民としての最高の勲章である「大統領自由勲章(Presidential Medal of Freedom)」まで送られた。イノウエが88で死すと、当時のアメリカ合衆国大統領であるバラク・オバマが心から追悼の意を示し、また米国の要職にあった当時の合衆国有力議員たちもオバマにならって追悼の意を示した。勇猛果敢で波乱万丈、だが、おごらず誠意をもって、文民として、そして政治家として、ハワイ州と米国のための誇りに名の恥じない仕事をしたイノウエの死に対し、人種に限らず多くのアメリカ人が涙したのである。マイノリティーが努力を怠らず、勇敢に戦い、そして本来の人種に対する差別という苦節に決して屈すことなく挑み続けたイノウエの人生は、今でも多くの人々に勇気を与え続けている。

2017年5月、イノウエの偉大な人生を象徴したあることが起きた。ハワイホノルル空港がイノウエの偉大な業績を称し、「ダニエル・K・イノウエ空港」と改称したのだ。世界の崇高な理念である、民主主義のため、自由と平等という権利のために戦った偉大な人生であった。

※画像は第42代アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンよりアメリカ合衆国軍名誉勲章(Medal of Honor)を授与されるイノウエ Daniel Inouye – Wikipedia より引用