白土三平「サスケ」―白土流マルクス主義思想と江戸幕府の武断政治と文治政治の分割点 | ゲヲログ2.0

白土三平「サスケ」―白土流マルクス主義思想と江戸幕府の武断政治と文治政治の分割点



白土三平の作品に「サスケ」というマンガがある。兄が学校の女性教員からもらいうけたものを私が家で受け継いでいるが、この作品は私にとっては白土の代表作品といっていい存在である。確かにほかの白土作品にも漫画評論の先達はあったし、その先駆けが白土の「忍者武芸帳」だったのは漫画ファンの間でではいまだに語り草だろう。その”白土漫画の評論ブーム”の後、白土自身がリアリズムとともに描き出したものがもう一個の代表作「カムイ伝」および今回紹介する「サスケ」だ。

兄の担任の女性教員は「漫画はけっこういい勉強になる」とおっしゃってくださって漫画へ理解の深い、優秀な国立大学出の教員だったのを印象的に覚えている。彼女は兄の弟である私に「(マルクス主義への理解が強い私を評して)なぜあなたのような人がやさぐれ不良になるのかわからない」とまで言ってくださったwwwちなみに「サスケ」はアニメ化もされているが映像の方は今では入手困難でキャストの把握すら難しいらしい…。それだけ忘れ去られた漫画だが、 今なお私の住む市内の図書館には堂々と置いてある。ふつー図書館が漫画を置くことってのはしないんだが、私の市の場合財政が比較的健全らしく「時がある程度経過し評価が高まって普遍的な価値観を持つ漫画」であれば購入・掲示・貸出(!)まで応じてくれるらしい(DBどころか「スラムダンク」もあったりするw)。

で、先に書いたように白土はそもそも漫画評論の”原作者サイドからの先達”であるわけだが、本書では”忍者モノ”を社会の中で特にマルクス主義的な思想が見え隠れする様相を呈して、幕府やその昔の時代をかなり劇的に描く。たしかに画的には「サスケ」は「カムイ伝」よりは手塚のようにデフォルメキャラ風に可愛く描かれているが、それでも扱うテーマ性は重過ぎるほど重い。このマンガで最大の重要シーンといえばやはりラストシーンである。私は続刊があると10年ほどずっと思い込んでいたが、本巻が”最終巻”である。愛する人を一揆征伐で亡くし、もらい子の行方も知れずに、放浪するサスケという人物が最後に憎き敵であろう忍者の温情的心理に抱えられ、三忍がただ棒人のようにつったっているだけの描画はなんとも表現しがたく、絶望感を抱くしかない。人間はこのような歴史によって力とそれに基づいた根源的欲求により制され、抑圧されてきた。革命は失敗し、”実存主義的文学者”白土流終末のありかたがリアルに描かれていて空想の中である漫画の話であっても決して現実離れしていない。

ちょっとだけ、技術的な話もしておこうか。白土のことを手塚がああいう風に評したように「サスケ」はじめ白土のマンガでは従来のそれと比べ、かなり現実主義でアクションに使う(もちろん殺陣のための)道具もメカニズム的にわかりやすく解説されている、という点がしばしばあげられる。”忍者”が決して物理アルゴリズム的に不可能の域に達しておらず、現実性があるという評論は有名どころだ。もちろん完全に再現可能かどうかは微妙だが、基本的に物理的に不可能な影分身とかは作中で忍者がつかわんのだ。

白土はマルクスの思想や唯物史観を主として、作中内で庄屋となる人格者に解説を付記して語らせている。「治世者が百姓から米をとってもとってもとりきれないぐらい豊かになる必要がある―つまり現実をみて働くものこそが時代を作っていくのだ」と。そういった庄屋の背後で暗躍するのが、一揆を扇動する二人の忍びだ。これは実は現実の兵法学者に着想を得ている。その双傑のなかで頭一つ以上抜けてリアリスティックなのは由井正雪だろう。 このフィクションは実は(その意味合い違えども)討幕を掲げて反旗を幕府相手に掲げようとする、兵学者の実話がもととなっている。いわゆる由井正雪の「慶安の変」である。正雪は、現在の東京神田にて自身の私塾を作った人物で、そこには頻繁に大名の旗本など兵学を志すものが多数入門してきたという、当時では最先端の学問所をもっていた実在の高名な学者である(作中では忍びのものとして描かれ、一揆を扇動し農民の力を試す黒幕として描かれているが、実際の歴史では兵学者)。

実史では彼の討幕の企ては仲間の密告により失敗に終わり、幕府もその統治体制を武断政治から文治政治へと変える一つのきっかけとなったというのが歴史家の間での共通の認識である。現実の話では由井はやはり責任を取らされ腹を切っている。 江戸幕府における武断政治と文治政治の変遷Wikipediaに詳しいが、彼らは武力による統治が謀反を無駄に引き起こし、体制を悪化させていると感じ、文治政治(知識主体による統治)に統治体制を変えた。江戸幕府はここで舵を切ったのだ。このきっかけとなった一事件が先に書いた、由井の企てた「慶安の変」だった。おそらく白土としてはこの実在の人物に着想を得て、この漫画の黒幕、扇動者として描いたのであろう。

政治は力によるものと対話によるものとで対立する機軸のふたつとなりうる。史実の正雪も学問による力と武力による蜂起というそのはざまに生きた学識者であった。これが、江戸の幕府から連綿と続く日本の歴史・自然的な理由付けのシンプルな部位ではないだろうか。そういった”過去の引き出し”から想像も踏まえて描き出したのが白土の功績のひとつだが、私は白土の漫画どころかどの漫画よりもこの「サスケ」こそ無駄のない人間味の汚い味のするリアリズムの漫画であろうと思う。当時の国民情勢としては度重なる飢饉と重い年貢に苦しみ、自分たちの喰う米すらなかったようであるので、白土の歴史感はその時代の変遷とともになんらかの現代にまで通じる「悲惨な時代の系譜」が裏付けられているように私は感じる。そういうわけで、私の中で白土の描く漫画の中で一番象徴的なものは、いまだにマルクス主義思想を背景としたプロレタリアマンガ作品「サスケ」なのだ。