思考する棒人間半BOT(Luacrafter.org)@LuacrafterO
あと最近の研究で明らかになってるけど「インターネットが核戦争のために作られた」ってのも単純に同意できん。北千草先生の「インターネットの思想史」に詳細が書かれています。この問題がそうそう簡単ならば学者・ニポン学術会議も含めて誰も苦労しませんよ。
池田信夫先生が言っているように、インターネットは軍事利用のために作られたものなのだろうか?本書「インターネットの思想史」はその提起を日本で為した唯一の本ではないだろうか?もともとインターネットというものは心理学者がこの分野に関わっていたほど学際的な部分であって、かなりその形成の経緯は複雑である。喜多先生はこの分野の専門家であり、放送大学の授業で私もその研究スタンスには憧れた節がある(それで文系の研究にあこがれを抱いて実際放送大の大学院の入試を飛び級で受けてみたがやはりダメだったのは苦い経験だ…)。ではそのキーノートとなる人物は誰だろうか?
本書でその様子を見受けられる人物として筆頭格にあげられる人物がいる。それがLickliderその人だ。今コンピューターといえば貢献してきた人物はスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツを筆頭に挙げる人は多いだろうが、あえて本書はそれを否定する。コンピューターネットワークは、Lickliderのような、音響心理学という現代社会でさえ追いついていないような特異な心理分野で活躍していた人物によって作られたとしている。それは人間の元来のコミュニケーションの用途として作られたものであり、決して核戦争を前提にしていたわけではない。もちろん軍事利用の計画も別個にありそれが奪胎した経緯もあったが、その詳細は複雑であり、「インターネットは核戦争に生き残るために作られた」と端的に割り切れるものではない。
喜多先生はAlan Kayなどに焦点を当て、情報史という新しい側面からこういったインターネットの歴史を紐解いている。情報史、という分野はノイマンまでさかのぼることもできるが、その応用性が強く見受けられたのは、おそらくはここ半世紀のことだろう。この50年強を生きてきた人物はやはり見識が相当深くて、しかもご健在。これは研究者としてソース(情報源)を当たるにあたってかなりやり方が簡単なのだ。というのも、(当たり前のことだが…)ヒアリングを故人に行うことはできない。ましてや、数学史研究でガロアのような数学史上まれにみる稀有な経歴を持つ夭折の天才にはできない。だが、情報史の分野では健康かつ信頼できる情報を現存する人物から得られるというメリットがある。
Alanもまだ御年70後半ぐらいでご健在、ましてやプログラミングによって勃興したIT産業Twitter・FB・LinkedInを作ってきたイノベーティブな人物についていえばかなりの若い億万長者であってソースとなる情報がネットでも書籍でもあふれている。これはこの分野の歴史を学んだり研究したりする身としてはかなりありがたいことだと喜多先生はおっしゃっていた。そういう意味でこの研究はかなり汎用性がある。だから、文理をまたがって読める今かなりおすすめの一冊でもある。本書はインターネットと人類の繁栄は両立できるのかを喜多先生自身が意図せずして…しかし、具体的に記された本でもある。