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「第三の道」は今もあるか?

「第三の道」は今もあるか?

20世紀終盤、イギリスをその経済的窮地から救った、マーガレット・サッチャーという政治家がいた。保守党出身の首相だったサッチャーは、新自由主義的な経済改革を推し進め、英国病(悪性のインフレ…スタグフレーション)を克服し、イギリスを経済的繁栄に導くことに成功した。その一方で格差は拡大し、公共サービスは多くが停滞。続いて、このサッチャーの路線を部分的に継承し、さらに、新しい政治を目指したのが、労働党長期政権を担うことになるトニー・ブレアであった。

ブレア政権について特筆すべきことは、その賛否を問わず、彼の政治的スタンスであることに間違いない。ブレアの国家体制に関する懸念はシンプルなものであった。それは、”新自由主義経済と社会民主主義との板挟みに、サッチャリズム改革後のイギリス政治社会体制が陥ってしまうのではないか?”というものであった。これが当時のイギリス労働党の目指した、新自由主義経済路線でもなく社会民主主義路線でもない、「第三の道」という政治政策であった。具体的には、鉄道をはじめとする経済の国有化を党綱から削除し、民営化を推し進めることに成功した。経済的にサッチャーの敷いた新自由主義経済路線を踏襲しながらも、労働党の基本政策とされる、積極的社会民主主義路線も保つことで、ブレア政権は長いスパンで経済的に成功することとなる。

税制の項目もサッチャリズム時代から継承したが、その反面、社会的弱者に対する配慮も同時に行った。ブレアは賃金法の改正・職業訓練なども含めた社会民主主義的な自立福祉政策・イギリスの伝統を踏まえた特徴性ある地方分権への移行などの左派的な改革をも同時に進め、イギリスを10年単位の長期安定経済成長へと導くことになる。演説に定評のあるブレアのリーダーシップもあり、イギリスにおける「第三の道」は見事に成功裏に終わるかと思われた。だが、トニー・ブレアのアメリカ随従主義・イラク戦争での外交的失敗により彼の手腕に急速に暗雲が漂い始める。

ブレアの多面的な積極的改革路線の特定の部分は、労働団体の反改革運動と真っ向から衝突した。支持母体であるその労働団体が離反、党の急速な左派迎合化運動を生んでしまう結果となる。経済的には長期に渡り成功したものの、プロットされた政治的な結果においては、労働党の組織内に分断を生んでしまい、その後、ジェレミー・コービン、キア・スターマーといった急進的左派勢力に労働党内の権力は受け継がれてしまった。当然、ブレアとコービンは強く対立した。ブレア政権時に推し進められた、特徴性ある経済路線・積極的な経済的弱者の自立支援は、次第に色彩・実績ともに失われてゆき、むしろ反ブレア運動が政権末期になるにつれ強くなった。

ブレア政権がたどったように、結局の所、彼が進めた「第三の道」はなかったといえる。経済的に長期成長に導いたことは、単なる新自由主義経済のハリコであった。新自由主義経済政策と社会民主主義的互助路線との並立、という大義は失われ、その後の世界の国家体制のありかたに、素朴な疑問を呈しただけだった。結局のところ、ブレア政権の担った役割は、単なる右派と左派、この二極のハイブリッドに過ぎなかった。労働党内のこの混乱は混迷深めるイギリスの現状と、そのライバルであるフランス、現代のマクロン政権にまで似通ったところがあり、果たして「第三の道」は結果的になにか生んだのかという政治的提起の問題になっている。

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