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テラハ出演者死去について私たちが考えられること

テラハ出演者死去について私たちが考えられること

SNSについていえば、TwitterとYouTubeはレベルが二極化してるのを感じたことがないだろうか?ニコ動はまだまだ民度が保たれていて、常識的な発言でなければ積極的に批判されることはママ見るが、特にTwitterおよびYouTubeはレベルが低い投稿と高い投稿とで、むちゃくちゃ差がありすぎるとあたしは思ってる。ニコ動における批判はある種建設的なものだが、後者ふたつについては建設的な批判どころか、批難にすらなっていないことが多い。

例えば、田村ゆかりはTwitterでのフェイク情報に関して上述のように「Twitterが嫌い」と断言している。ほかにも動画を漁ればいくらでも出てくるが、論理のつじつまの合わない点だけを取り上げ端的に人格まで否定したり、矛盾してる点ばかり枝葉を突っつく米が多すぎるのはYouTube使ってる方であれば納得は行くことだろうと思う。例えば、京アニの件でも、特定のMAD動画にそういった米が平然とついてる(ほぼ同じ動画のニコニコ動画版では少なくともコメントの枝葉をつつく無意味な論争は無きに等しい)。たしかにYouTubeとニコ動ではコメントの性質に違いがあるという反論は考えられるが、YouTuber遠藤もいうように、YouTubeのユーザーはレベルが基盤として低く、常識的な一貫性が保たれていないことが多い。むしろ、遠藤がこの件に関する動画で言っていることのほうがずっと賢く合理的なことを言ってるぐらいだ(人間なんだから争いごと、分かり合えないこと、過ちや矛盾はあるのが当たり前だ)。

対して、ニコ動は風刺表現やアテレコMADの類もあり創造性はいまだにまだまだあるし、ゲーム実況などユーモアの効いたコンテンツがまだまだあった(という経緯はある)。また、ファインマンのオークランド大学での講義動画や、気鋭の物理学者ブライアン・グリーンによるひも理論の一般的な解説などもただものではないと思わされる字幕付きで流れており、あまつさえ、かつてはフーコーとチョムスキーの対談や、ラカン・デリダ論、脱構築の概念・ポストモダンなどの思想的解説(残念ながら哲学系のニコ動同動画は消えてたけど…)、萌え系だが本格的な経済解説動画など多くの魅力的なコンテンツが存在する(かなり失速しているのは否めないが…)。

ではなぜ、TwitterやYouTubeではこういったことが起きるのか?そのメカニズムを体系的に解説したものがサンスティーンによる一連の著書だ。これは、社会学や公共法学では「集団分極化」という概念で知られている現象である。これについては、すでにあたしも記事にして解説していたことがあるけど、簡単に言えば、「同じ意見で同じグループのみで討論をしていくと、より過激で先鋭化した考え方がまかり通るようになる」という論理である。すなわち、民主主義や熟議の果てに無条件で理想的な意見が形成されるとはいえないのだ。これと同じことがSNSでもよく見受けられる。

「あいつが叩いたので、おれも叩ける」「この流れであれば、叩ける」という感情的論理はこうした「集団分極化」の社会的現象にすぎない。いわゆる”煽り”とか”バイアス”である。今回テラハ出演者が死去した件でも同じことが言える。この暴力のメカニズムはいわゆる「ロス暴動」と同じく群衆心理としても解釈できる。我々が「憲法の日」などで護憲派および改憲派とで別れて討論することは基本的にはいいことではない。少なくとも、建設的な論議に達するためには、護憲派と改憲派とで討論をしなければ、左右両極端に偏った危険思想が生まれ、いずれにせよ憲法の存在自体を蝕むことになる。

池上彰や指原莉乃が中立的な立場を保ち、安保法の解釈変更や検察の定年延長問題にかかわらなかったのは彼らがこの概念を自然とごく深く理解しているからだ。逆に言えば、作家や小説家やジャーナリストがわりと左に傾き、政権を批判するのはある程度は納得がいく論理である。これはボルトン(アメリカ一国主義者=いわゆるタカ派)の逆のパターンであると解釈できる。

この分極化の概念についてよく知りたい人は(しつこく紹介するけど…)キャス・サンスティーンの書物を読むことを強く強くお勧めする。サンスティーンは民主主義者でありながら、民主主義の欠陥を見事に説明したため、批判されることになっているが、それも建設的なものである。おそらくニコ動も日本の良いところ、サンスティーンの指摘を(もちろん通説的に意識したわけではないだろうが)よく取り込んでいるのだろう。

池上や指原の社会的評価が高いのは、彼らの職業がジャーナリストかアイドルなのかとでは一切関係がない。一言で言えば、ニコ動や池上あるいは指原はごく自然として「頭がよい」のだ。先んじて解説したように、国家や外交のレベルでも同じことがいえる。大戦中、永世中立国であるスイスが領空侵犯した連合軍の軍用機もまで、ソビエト軍機と同じように、しっかり撃墜したことは合点のいく”合理的中立主義に基づく暴力”である。

まぁ、あたしが言いたいことは、「ちょい頭冷やして冷静になろう」ということだけなんだけど…

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