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寄付をめぐる偽善は嘘か誠か複雑か?

寄付をめぐる偽善は嘘か誠か複雑か?

サッカー選手の長友佑都が「寄付は偽善であってもしないよりはずっとまし」とツイートし、同じくサッカー選手の本田圭佑もこれに上のように答えているのが一時期話題になった。これはもっともなことだが、実は寄付をめぐる政治的なかけひきというものは奥深いものがある。例えば、評論家・翻訳家の山形浩生はいくつかポイントを絞って(ざっくばらんに言えば)こう答えている

・寄付される側は寄付されるべくしてアピール・努力しないと寄付金は集まらないヨ!

山形は寄付される側にも不動産など様々な資産形成がなければ寄付は集まらない、と主張する。山形はさらにこう述べる―「黒柳徹子に預けた寄付金がすべて途上国・難民支援に行くわけではない」。彼は次のように続ける「ユニセフの米国法人に寄付金を預けたからと言ってそれは高給取りのNYの官僚体制に組み込まれる恐れが高い」と。―「だからこそユニセフは日本での募金活動は日本ユニセフに委託しているんですね」これほど単純で理解できるロジックがいまだに先進国の日本で通用しないのは明らかにおかしい(つまり山形の言っていることがかねがね正しいといえる)。

あと、あたしが言いたいことがあるとすれば、山形の文に続けてこう言いたい。それは、寄付される側、する側、それらの税制を管轄する側、それぞれの体制があって、寄付行為は成り立っている、ということだ。すなわち「税制の控除」だとかそういう資産運用の目論見があって、税制を敷く側も、敷かれる側も、寄付される側も、三者それぞれの立場があり、その背後では純粋なカネの力学がうごめいているというわけだ。結論から言えば、実名公開し寄付したからといって、それが端的に偽善だとかそうではないだとかいえるものでない。もし、偽善だうんちゃらと定型的にいうのであれば、それは思考停止の植物状態の人間の発言することと同じだ。識者の間ではけっこうあることだが、アメリカでは、大学や研究機関への有名人の寄付金が基になって、(無論いわゆる賄賂とは別ルート)その子息が有名大学に入学するのはそれほど非常識なことではない。小泉進次郎が関学からコロンビア大学大学院に入学できたのも、その父、純一郎の威光があったからだ(もちろん、汚職での入学ではないので完全に合法)。この事実上の「推薦枠」の論理に、むしろ寄付の本質は似ているとあたしは考える。

さらに、物価の問題もある。「購買力平価」という概念があって、チョー簡単に言えば、カネがあれば命は救えるという論理だ。例えば、貧困国の医者を動かすカネと、こちら側(先進国)の医者を動かすカネとではその価値に差がある。明らかに貧困国のほうに寄付するほうが、人の命を救うには効率はいい(もし仮に命に差がない…と仮定すれば)。スウェーデンのストックホルム国際平和研究所における、各国軍事費の算出と統計的な解析は基本「購買力平価」でなされている。これも歴然たる事実であって、偽善とかそういうレベルの話じゃない。あたしが自販機でソーダを飲むカネを渋って、寄付箱におこぼれ入れてやれば、数人の命は一週間ほど伸びるのだ。

こういうこと言えばごく自然にわかるだろうが、むしろ慈善団体は統計的な情報公開を積極的にすべきである。エビデンスに基づいて、どれだけのカネがどの分野に使われて、どれだけ効果を上げたか?ここがまだまだどの慈善団体も足りないようにあたしは思ってる。例えば、あたし自身はCSになっているけど、とにかく来るレターは、ケースバイケースが多く、「だれが喜んだ」とか、これも(すなわち、助かったのも)「あなたのおかげです」だとか、主観的すぎる文章が多すぎる。だから統計的に横断して、(主観がある程度介在するのは仕方がないけど…)なるべく客観を目指してデータで納得させる努力をStCもしっかりとする責任が(もちろんほかの団体、オックスファムなども含めて)ある。単純に偽善だとかそうじゃないっていうより、どれだけの寄付がどれだけの効果を上げたのか?これからどこにカネを回せば、より多くの人が健全な生活を送れ、命を守れるのかといった観点から、学術的なレポートをきちんとした形で世に出すのをStCには期待する(実は明日、ライブチャットの場をStCも設けてくれるらしいのでその場でしっかり日本圏担当者に言うつもりだ)。

まぁ、長友や本田、あるいは山形が言うことを鑑みれば、「偽善だとか、そうじゃない」だとか言っているのは知能のレベルが低すぎる。先進国の人間として恥じるべき言葉だ。この悪習に倣い、あたしの高校時代の友人でも「JICAのやってることも偽善だ」なんていってる大馬鹿者がいたけど、ぶっちゃけこいつなんかは頭おかしいとしかいいようがない。長友・本田の言うことは議論の入り口としてはまずまずもっともなことであって、とりあえず”行動できないひとが行動してきた人に文句を言われる筋合いはまったくない”。日本のネット掲示板が主体になってこんな言葉がよくつかわれるようになったこともある。

「しない善よりする偽善、あんたの善はしない善」

もう一度言おう。行動してきた人のことを行動に移せない優柔不断な人間に文句を言われる筋合いはない、のだ。

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