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世界的危機の時代と三島の思想

世界的危機の時代と三島の思想

三島はこの日本語のインタビューにて、「時代の終わり」というものを持論と合わせて述べているように思える。曰くよるに三島にとって、「英雄の時代の終わり」だとか「戦争システムの終わり」といったものが現代史の中に、現実としてある。これは、もっと抽象的に論じれば「人間というハードウェアの限界性」についてである。三島にとっては、戦前の日本軍部の敗北とは「歴史の終わり」であり、「人類の終わり」であるはずなのにもかかわらず、現代の世の中は歴史性を失いそれ自身が普遍的である。彼にとっては現代という時代は表面上豊かでも、内面では虚無に徹してしまうという、摩訶不思議な矛盾に満ちているものなのである。

三島のいう「保守」と「革新」の対立軸とは「天皇を中心とする古典的価値観の生きていた時代」あるいは「英雄的時代の勃興から芸術的栄華の時代」と「知性らしきもの」とでそれぞれが相対するものであったようである。三島にとっては、人間は個々としてはとても弱いものであるため、それを克服し強く生きるために既存の個人主義を超え他人と共に生きる、「大義」に依ることが重要なわけだ。また、既存の経済成長を超え真に独立した古典的なハードウェアの中に生きる人間像を、現代人は常に欲するべきだ、というのである。我々は、あたかも「自分の歴史」を「世界の歴史」と照らし合わせることでその弱さを克服できる、というわけだ。これが三島の言う大義の実現であり、その人の「死」そのものである。だからこそ、三島にとって”安心している人間は嫌い”なのだ。彼にとっては、弱きもの=個々の人間とは他人と共に生きることにより、あるいは他人とその宿星たる死を共有することによって、人間自身たるハードウェアを超越することができる、というのである。か弱きひとりひとりの人間は、自らの人生と他人とのつながりを意識することで、またその死を共有し意識することで本質的に強くなれるのだ。

これは、確かに一見現代フランス思想に適ったところがあるようにも思えるが、三島にとってそういったアカデミズムは常々権威的無力であった。また、知性らしきものが教育システムを権力的に保護し、それによって現代が支配され、政治も文化も経済もその波渦の中に紛れ込んでしまう中で、人間性の復活、あるいは歴史性の復活といったものがとうとう虚無に徹してしまう…というのである。この象徴を三島は「葉隠」という著述の中に見出している。つまり、その「作家」は現代の歴史に危機感を表しながらもそれ=死を体現しないという点で、虚構ゆえの実践性しか持ちえない。「葉隠」の小説の外側にある著者をまず批判的にみることから三島の思想は始まる。少なくともリアリストである三島にとってその「作家」の生きざまは非常に嫌悪すべきものであった。彼にとって、生と死は択一のものでありその背後に含有するような巨大な歴史がある、つまりその三つは内部で互いにつながっているのである。経済成長ののちに、人間の英雄の歴史は虚無の中に埋没し、しかもそこで単純な知性主義であるアカデミズムは結局のところなにも生み出さないので、常々現代の人間はそのまま無力なのである。三つは理想ではつながっていても、現実ではつながっていないことに三島は危機感を覚える。

この克服のため三島はこのカナダのインタビューで次のように答えている。三島は、日本国民とは「天皇を中心とした保守的な感情の機敏を忘れないものであるべき」でありながら「自主的な主権を持ち個々人が自立すべき」ものである。しかも、それに加えて日本国民にとっては「スイス国家のような自警団を既存状態で意識していること」が重要だと主張する。そのプロセスで、まず達成されたものが「楯の会」であった。またその先に彼の主張する「国連軍に航空自衛隊の一部組織を編入する」という斬新なアイデアが存在する。彼にとって自衛隊とは、国家国民を守り、しかも平和主義とともに、「新たる保守正当」であるべきだ、というのである。こうして三島の考えをたどっていくと、彼は市ヶ谷の駐屯地で、決して、日本国のありかただけを悲観し割腹したわけでないことは自明である。三島にとって、日本国の復権とは日本軍部枢軸の復権あるいは帝国主義の再建と同意義でもない。

三島にとって死とは、宿命であり、それは避けられないものである。そしてその結末に当たっては、表面的な知性よりも芸術的な本質ある中身のある知性を、なによりも体現しなければならなかった。それこそが、三島の渇望であり、彼という英雄の死であった。その死を通じて、三島の思想は日本人という概念を超え、実は世界的な思想につながっている。人間性を所有する各人は己の努力によって困難を克服すべきと三島は主張する。そういった純粋な情熱や熱意らしきものがなければ一義には人間は退廃し、自らが作り出した歴史の中に埋没し、なんら生産的でなくなるのである。その中で、日本国は時代に置いて行かれ、周辺の近隣国にのもめごとに巻き込まれ衰退する、という論拠が部分的に彼によって述べられた、ととらえるべきではないだろうか。その行く末には、大きな恐怖・世界的な危機が待ち構えており、人間という箱もの、感情を持ったロボットが、自らの作った社会制度ごと潰れていくことに、三島は戦慄したのではないだろうか。それこそが彼を掻き立てる力学であったのだ、ととらえるべきではないか。

・アイキャッチはロチェスター大学ホームページより

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