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書評「最後にして最初のアイドル」

書評「最後にして最初のアイドル」

本作はSF文芸の観点からも酷評せざるを得ない。あまりにも、「飛びすぎている」。SF評論の上で評価できるのは、冒頭部ぐらい…残りは想像まかせ。SFの用語やアイデアそれ頼みにしており陳腐だ。ボルヘス的な小説の外部にアクセスするような試みが終盤出てくるが、これも不完全すぎる。評価できるとすれば、残酷な描画が出てくる点だけ、サディスティックな部分だけだ(SF評論の観点でも文芸になってないので、この部分すら受け入れられない読者が大半だろう)。表題作の「最初にして最後のアイドル」は酷評せざるを得ない出来。ほかの二編も大概同じだ。

比較してればわかるが、短編の名手と言っても多くの世界的作家がいる。そういった世界的な作家のなかであたしの好きなものを挙げてみると、ハーラン・エリスンの「世界の中心で愛を叫んだけもの」だとか、コードウェイナー・スミス「スズダル中佐の犯罪と栄光」だとかがある。どれもスケールの大きさが全面に押し出されており、これらと本作を比べると、スケールの小ささが際立ってしまう。SFに感動だとか関心を追い求めるのであれば、本書は「買い」ではない。そこかしこにちりばめられた様子の小さいセンテンスのレベルで比べてみても、象徴的な表現の手法で比べてみても、どれも先輩格の名作とされる各作に劣っている。エリスンは軍属だった経験があり、世界大戦と個人の意思と世界共通の背後にうごめくものとを結び付けてこれを書いたし、スミスの短編も大方は国際情勢に深い通説があったからこそ書けた名作ばかりだ。

そもそも本作は、アイドルものアニメの二次創作版を商用版に書き換えたことが発端らしい。それゆえその基盤となるプロットがあいまいであることを必然的に感じざるをえない。はっきりいって、中身はないに等しい。かつて星雲賞の日本短編部門では秋山瑞人の「おれはミサイル」が受賞されているが、これと比べてみても、地の文の書き方、その他の表現の手法、背後関係となる作品のいきさつ、アイデアや用語設定などありとあらゆる点で劣っている。感心するものがまったくなく、基礎になってるものを感じれないのでお勧めできない。残酷さと芸術を結び付けたもの、としても積極的に評価できない(と思う読者が大半だろう)。

なぜ、本作が星雲賞の短編部門の筆頭に挙げられたのかがあたしには全くわからない。

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